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2009年4月21日火曜日

猿橋賞決定  「RNA干渉」

今年の「猿橋賞」が決定しました。猿橋賞は故猿橋勝子博士により創設された50歳未満の女性科学者に送られる賞です。

今年は塩見美喜子慶応大学医学部総合医科学研究センター准教授が受賞しました。研究内容はRNA(リボ核酸)干渉と呼ばれる現象をショウジョウバエの細胞を使って究明したものだそうです。

確か昨年受賞した、東京大学大学院工学系研究課の野崎京子博士は「金属錯体触媒を用いた極性モノマーの精密重合の研究」でした。

日本の科学者もまだまだ立派な功績を残している方々がいます。日本も捨てたもんじゃないと思いました。

GW Lets' PARTY !!!


今年で4年目を迎えるGWの恒例パーティの準備が整いつつあります。
元々はGWに遠くのゴルフ場ではなく近場のゴルフ場でゴルフをして、その後飲み食いといパーティだったのですが、近場のゴルフ場の確保とパーティの下準備の帳合が難しく、体力の消耗が激しかったためパーティだけになりました。

このパーティはようするに参加したい人はどなたでもというパーティです。いつもの犬友に加えて、新しい犬友の家族やご近所さま、さらに会社のスタッフとその家族、取引先の人など多種多彩です。
今年はDr.F氏がご自信の耳の手術で28日より入院とのこと、手術は30日なので29日は少しでも抜けられる?!事を期待しております。Dr.F氏はSパパとコーヒーとクリーム(古い表現!)の関係なので、なくてはならない存在であります。
一応、ルールは1家族1本、1品ですが、会社スタッフは当然1本はいりません。身のまま参加して下さい。
今年は昨年購入したガスBBQグリルの初使用です。ビールも3樽用意します。


今年のメニュー 予定です。

☆丸鴨のロースト
☆夏牡蠣のロックフェラー
☆牛カルビ、豚ばら肉のBBQ 野菜付
☆コッドリバーのクラッカー載せ
☆トマトとモッッアレラのサラダ
☆中華粽
☆クラムチャウダー
☆ハモンデトレベレス
この中で、このハモンはトレベレスというもので冬場の豚しか使わず、血抜きを3回もするそうです。昨年はハモンイベリコベジョータ黒豚でしたが、今回は白豚です。イベリコベジョータが最高級とされていますが、私はこのハモンは特別だと思います。特に常温で解ける油の旨さは特筆ものです。是非、試して下さい。

あとは皆さんが持ち寄る美味しい料理の数々です。かぶっても全然OKです。後は雨が降らないことを祈ります。雨だったら急遽ガレージを第2会場にしましょう。ガレージも結構盛り上がります。

そうそう、今日写真の「graisse d'oie」を「日本蕎麦街道株式会社」という蕎麦粉を扱うショップより手に入れました。写真はそのショップのものです。これ実はフォアグラの油です。鴨や鶏肉をローストする際に塗るととびきり美味しくなります。








 

本 村上 龍 箴言集



昨日は「穀雨」で雨の予想でしたが降りませんでした。というわけで2匹を連れて「段々」です。

さくらはラテックスのオモチャが新しいうちは良く遊ぶのですが、2日もすると飽きてしまいます。

1個300数十円とはいえ1年に換算すると結構な額です。しかたなく4.5個購入しました。


カボスで本を購入しました。私の秘技3冊並行読みです。昨日偶然成城石井ボンマガザンでお見受けした村上龍氏の「無趣味のすすめ」は本日読み終えました。結構いいこと書いてありました。以下気になった箇所です。  

箴言集

① 「リラックスできて、かつ集中して仕事ができる人は実はオンとオフの区別がない」

② 「相手へのリスペクトが表れていれば、ファションだけが浮き上がることはない」

③ 「Money以外の価値を社会及び個人が具体的に発見できるかどうかだと思う」

④ 「  ゛私はこの会社を変えます゛みたいなことをいう経営者はダメな人が多い」

⑤ 「仕事とプライベートにおけるその人の優先順位が、その人の人生なのだ」

⑥「その平等な資源の時間を何にどう使うかで5年後の自分が変わってくる、というような概念を理解す る事が投資の第一歩ではないか」

⑦「私は絶対にアドバイスしたくない、隠蔽されがちの事実を正確に伝えたい」


この著者村上龍氏も以前は早朝の仕事なんてとんでもないと思っていたようですが、年とともに朝早く起きるようになったらしいです。そんなあたりも親近感を持ちます。

とくに⑤はつとに思います。以前Sパパが「次はないのよ」「やりたいことをやる」と言っていましたが、結局このところにこのことだと思います。ですから誰もが毎日、毎日何かしら決断し、選択しているわけです。それが人生なのです。 29日も来たい人が来るといことです。

そうそう、この「決断」という言葉元々は氾濫しそうな河川の堤防を切って水を流す行為だったといいます。これによって助かった村落もあれば、水に流された村落もあるわけです。決断には「犠牲」がつきものということなのです。