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2010年2月15日月曜日

町田市長選  まほろ駅前番外地 三浦しおん

私の隣町町田市で市長選が始まりました。国道246で西進すると東京、川崎、横浜、東京のその最後の東京にあたるところです。

町田の一部は結構怖いところだよ、と知ったのは数年前でした。三浦しおんさんが「まほろ駅前番外地」を執筆していますが、まさにその「まほろ駅」とはその町田が舞台のようです。


所用で夜一度訪れたことがありますが、昼とはうって変わって怪しい雰囲気でした。必要以上に大きな駅前の商業施設とその裏側の猥雑なギャップはどこでもありそうな光景ですが、ここは日本?
と思えるほど国際色が豊かです。まさに三浦しおんさんが描いた光景でした。今にも行天が出てきそうです。行天というネーミングもいいですね!!

彼女は横浜の出身です。それも名家の出身で横浜双葉中高等学校から早稲田に進んだ秀才でもあります。しかし、秀才とは思えない物に対する動物的嗅覚!!私は結構好きだな?・・・・・・・・

三浦しおんさんのブログです

アラバマ大学銃乱射  テニュア制度 Academic Tenure

アラバマ大学のハインツビル校で女性准教授の銃乱射事件が報道されました。痛ましい事件です。この女性を弁護するつもりはありませんが、この事件にはアメリカの大学が持つテニュア制度が存在していると思います。

この准教授=Assistant Professorはハーバード大からこのアラバマ大に招聘され、今年がこのテニュア制度の最後の年だったそうです。ハーバードはもともとテニュアが極端に少ない大学なのですが、このテニュアに通らなければ解雇になるのです。テニュアに通れば文字通り、教授=Associate Professorになり保障もされます。天と地ほどの差なのです。

このような熾烈な生存競争は身も心も喪失させます。アメリカの能力主義の光と影でもあります。

基礎に進むと言っている息子も他人事ではありません。

家を持つ意味



建築関係の仕事にかかわっていると、「家の持つ意味」を考えさせられます。

映画「海辺の家」では人生の最後に息子と作り上げた家をその父の死後半身不随の女性にあげてしまいます。

家にとって一番悲しいのはそこに住む人がいないことです。家はその時々で自らの必要性を変化させます。

結婚当初ならは新しい生活の場、子供が産まれたら子供を育てる場所、そして老年期ならはどうでしょう、自らを再確認する場とでもいうのでしょうか・・・・

日本の家は「うさぎ小屋」と揶揄されます。うさぎ小屋でいいじゃありませんか。今風に言えばCo2の排出も少なくエコロジーですよ。つまり家の大きさやお金がいくら掛ったかではなく、どういう風に使ってあげたのかが大切なんです。

我が社の優秀なスタッフも今日、その「家」の引き渡し予定です。名義上は彼の父親の家ですが、4家族の住む大きな家です。

柱の傷も思い出です。私なんぞ2階の寝室にある穴を今でも直していません。カパルアホテルのカレンダーで隠してあります。そうあの当時仕事のディレンマに耐えられず、頭に血が上っていた情けない自分を思い出すためです。

人間一人では成長しません。結婚して、子供を持ち、家を建て、そして大勢の友人に影響されながら成長させられると思います。家なんて関係ないといっていた人がいましたが、私はそう思いませんよ。家は大切です。

30年企業説 変態

先日、某雑誌に企業が個人の才覚によって存続する期間は30年であると書かれていました。

実は私もそう思います。大企業や30年以上存続している会社はたえず新しいDNAを外部から取り込んだり、自らが「変態」していると思うからです。

考えてみてください。越後のちりめん問屋?はちりめん問屋のままではないはずです。

私の小さな会社も今年創立25年を迎えます。嬉しいというより年をとったなと感じます。

私が経営を包括的に行うようになって16年ですので、30年にはまだ14年あります。しかし、その時は64歳です。うまく出来ています。

これから先はもっと新しいアイデアや斬新な思考法が必要になります。スタッフのみなさん頑張ってください。何事も今が当たり前とは思わないことです。

レギュレーションの変更

4位に終わった上村選手ではありませんが、オリンピックに代表される競技でもしばしばこのレギュレーションの変更が行われます。

F1の世界でもやっとコツコツと技術を積み重ねて勝利が狙えるところまでくると、大幅なレギュレーションの変更が行われます。

これはスポーツやカーレースに限ったことではありません。外交や政治の世界でも西欧諸国はしばしばこのレギュレーションの変更ほ行います。

日本人はいままで対話してきた経緯、歴史を慮ります。しかし、彼らは最初からなかったものにして始めるのです。

日本人の寄与性格からすると真似出来ない芸当ですが、しっかりとこれにやられます。そして懲りずにまたやられるのです。妙案はありません。ただ、決めたからと信用しすぎないことが必要です。

流動性の罠  Liqudity Trap

ケインジアンでなくてもこの言葉をご存じの方も多いとは思います。

一定の利子率以下になると通常の金融政策が効果を発揮できない状態になることです。日本でも1990年に一時的にこの状態に陥りました。

これにより貨幣供給は投機的動機に基づく貨幣需要が無限大になるというものです。

そう利子はマイナスにはなりませんから。曲線を思い出してください。

ケインズはこの解決策として財政政策や外的要因による輸出の増加、イノベーションが有効であると説いています。

しかし、一部には未だにインフレターゲット論をもって解決策であると信奉しているマネタリストがいることも事実です。