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2011年4月26日火曜日

鹿取洋子 ファンファン大佐

蓬年も超えたので過去のお恥ずかしい記憶のひとこまをお話します。

大学生の頃、友人からクイズ番組に出ないかと誘われました。ただ、座っていれば良いからとのことでしたのですんなりOKしました。

番組は「食」にまつわるクイズ形式で、商品はミキモトのアクセサリーや家具、ミニバイク、沖縄旅行などでした。

それまでテレビ局の裏側など見てなかったので興味深深の若輩者は、有名な芸能人(誰とは申しません)がプロデューサーらしき人から答えを教えてもらっているところを見てしまったのです。

今となれば当然でしょうが、当時の純粋な青年は驚きました

私は某女性芸能人とのペアでしたが、こちらは答えを教えてもらえません。ただ座っていてと言われただけでした。

番組は生放送だったのでぶっつけ本番でした。

どういう訳か最後の質問に私が答えてしまったのです。

質問は「カレーの発祥の国は?」という簡単なものでしたし、当日の朝も「イマサ」のカレーを食べてきたのでつい反応してしまったのです。

その時のプロデューサーの白けた雰囲気と友人の気まずそうな顔が今でも忘れられません。

賞金は後輩や友人と帰りにパァーと使ってしまいました。しかしながら芸能人なのに商品は山分けだと言うのです。仕方ありません、ベスパはあちらに、家具はこちらに、アクセサリーは山分けに、海外旅行は私と別けました。

家具は両親が、旅行は先輩が買い取ってくれました。その先輩の人は一昨年他界してしまいました。

アクセサリーは??  もちろん妻に渡しました。そうです、まだ結婚する前の出来ごとです。

あの歌手は一曲ヒットを出したもののその後は女優業に転向し今も芸能界に残っているようです。

あれほど年上に見えたのに私より2つも下だったのです(ということは19歳?20歳??)

人生は何があるか分かりません。恥をかいてもやってみなければ何にもなりません・・・

何で突然こんなこと思いだしたのか? 

今朝の新聞に嘉門洋子さんという名前を見かけたからです。全然違う人でした。この人ならまだ生まれてもおりませんでした(笑)

陣中見舞い 宇都宮

震災後、宇都宮にある某建築資材メーカーより建物の損傷具合を見に来て欲しいとの要請があったのですが、被害が軽微であったことと震災後の混乱で今日までのびのびになっていました。

ということで宇都宮に行ってきます。

時間があれば大学の先輩で地元でタクシー会社を経営している人のところに顔を出してこようかと考えています。

友人に聞くところによると震災の特需とでもいうものなのでしょうか、東北新幹線が運休している影響で宇都宮から福島県までの長距離の依頼が増えたそうです。ところが震災当時、どこが安全かどうかの情報も乏しく、運転手が非常に不安がって判断を臆してしまうことがあったようです。経営者としては利益より従業員の身の安全を考えるのは当然ですが、一方で社会的責任もあり苦慮されていたようです。

そんな訳で陣中見舞いです。小坪で仕入れた自家製の干物を冷凍パックに詰めてお土産に持っていきます。値段は安いですが味は格別です。ドライアイスも大きな塊で用意しました。これから5時間なら大丈夫でしょう。

朝食も終え、コーヒーも飲み終えたのでそろそろ身支度でも始めることにします。

Cobblestone Appearance

我が家では教養の方向が親→子から子→親に変わって久しいと申しましたが、そうでもありませんでした。まあ残滓のようなものですが少しは残っているようです(笑)

内科学の試験を終えた息子に昨年の医師国家試験の出題であった潰瘍性大腸炎とクローン病の違いについて聞くと、機嫌が良かったのか珍しくまっとうに答えてくれました。よくぞそこまでという細部まで頭に入っているようでした。そんな中で彼の言葉にこのCobblestone Appearenceという言葉が出てきました。クローン病に特有の病変ですが、文字通り敷石状所というものです。

医学のことは別としてよくCobbleという英単語知ってるねと言うと、「親父が前に読んでいた本のタイトルが変わっていて、確か何とかの敷石という本だったので、調べたんだ」とのこと。

私の雑読も決して無駄ではなかったようです。

しかしその後の彼の弁がふるっています。「こういう丸暗記好きじゃないんだよね。私はどうしてこの病変になるのかそっちの原因との因果関係を調べたいんだけど、興味がないみたいなんだよみんな・・」

でもその原因との因果関係が証明されるってノーベル賞級の発見なんじゃないのかな・・・???

そう思う父でありました・・・・・



その本がこの堀江敏幸氏の芥川賞の受賞作である熊の敷石です。

その後も氏の小説を読みましたが、どれも氏特有の細やかで素晴らしい文章ですが、私はこの熊の敷石が一番好きです。読者というのは勝手なもので(私の場合)、上手すぎる文章をこれでもか、これでもかと読み続けると、少し食傷気味になり、あっさりとしたものが欲しくなります。その点この本はさらっとしています。

氏がよく織り交ぜる人間との関わりの中でのある一定の距離感というか、「場」のもつ魅力は確かに存在します。

今までそこに人がいたのに、目を覚ますと一人になっている。しかし、人がいた事実は空気や時間となって過去から未来に繋がっていく・・・そんな儚い関係が私は好きです。そうサウダージのような・・・Cobbleからプルーストまで繋がるのです・・・・

勉強はいつ使うか分からないためにするのです。いつ使うのかはっきりしているものは技能です。もちろん技能も生きるために必要なものです。しかし「人はパンのみに生きるのにあらず」「茶碗のような学問をするな」どちらも真実です。