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2011年10月19日水曜日

レイアーな知層

N新聞社の編集委員であるH女史が大変良い言葉を使っていたので皆様にお伝えいたします。

現在の政治家にしても、会社の代表者にしても時代を前後したレイアーな知識や交友関係を築けていないというのです。

そういえばM政経塾出身の人は似ていますね(雰囲気など・・・)

フォトショップを嗜まれた方ならこのレイアーはイメージできるはずです。

なるほど知層にはこのレイアーは必要です。いくつもの重複した塗膜で覆われたものでなければその塗装はすぐに剥げ落ちます。

確かに自分を振り返ってもその通りです。昨年読み倒した丸山眞男氏にしても、私達が大学に入った頃にはすでに退官し、皮膚感覚としての彼を実感できていないのです。しかし、先人は直にこの人達から薫陶を受けた人もいるのです。

我々だけの世代ならば丸山眞男は過去の人です。こうした先人がいることで、過去ではなく自分のものとして咀嚼嚥下することが出来るのです。つまり世代を超えたレイアーな人間関係の大切さが分かります。

上も下もレイアーな知層として世代や志向を超えてみることが大切なのです。

経営者の皆さん、レイアーな関係築けてますか?

蘊蓄 懐石料理

懐石料理の懐石とは僧侶が懐に寒さしのぎに忍ばせていた石から転じたものだったのはご存じのことと思います。つまりは茶会の前の一時しのぎな質素な一汁三菜がルーツなのです。

では何故向付、八寸と呼ばれるのかご存じですか?

向付とは字のごとくお盆の向い側に置かれるからです。

八寸とは八寸=3.03センチの8倍、24.24センチの八角形のお盆に乗せられた山、海の珍味ということになります。

これだけでも懐石を食べる前に覚えておけば美味しさにプラスになりますよ(笑)

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今年のミシュランガイドが発表されたようです。特にミシュランの星にはあまり興味はありませんが、たまたま贔屓のお店だったりすると複雑な心境です(あまり人に教えたくないお店もあるので・・・)

奈良に旨いものなしと言ったのは志賀直哉だったとかないとか、その奈良に三ツ星の和食店が加わったそうです。お店は「和やまむら」です。

そうそう、京都「なかむら」は今年も星3つでした。やっと12月の予約が取れました。このお店は星とは関係なく、是非味わってみたいと思っていたお店です。

何故なら、懐石の本来のルーツを見守り続けて一子相伝でその技を伝える店だからです。

炭屋、俵屋、柊屋といった超有名旅館に仕出しを納めていたと知れば尚更です。

人生で一度だけ京都の白味噌雑煮を食べてあまりの旨さに驚いたことがあります。

このお店の名物料理でもあります。シンプルな材料だけに塩梅が全てを決めます。今から期待大であります。

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失礼いたしました。Sパパから連絡がなかったので京都の話は朧月夜に消えたのかと思っておりました(笑)

実はその後調べたらお店は日曜日が定休日で、結局この日しか取れなかったのです。さらにウェスティンは既に満室で金曜日は別のホテル(東急ホテル)に一泊し、翌日ウェスティンに移る何とも
へんてこな日程となってしまったのです。

金曜日は着いて食べるだけ、翌日観光し、日曜日は早く戻る予定です(笑)

もちろんお土産(話)はたんと用意しておきます(笑)

MARCOS VALLE ブルーノート

マルコス・ヴァーリが来日していること気づきませんでした。当日席空いてましたので早速予約しました。

ブルーノートのパスワード忘れてしまいました(笑)困ったものです(笑)

本日、17時半よりブルーノートで公演します。ゲストはBIRDさん、グルビーなサウンドに彼女の歌声、結構良さそうです。

問題は開演前の夕食です。ブルーノートの店内は何か忙しなく感じてしまうので、いつもはアディング・ブルーで軽くすませますが、本日は定休日。

時間の掛るところだとコンサートに間に合わなくなります。

若者考 下流社会の真実


同期の三浦 展氏が使ってから下流社会なる言葉が定着し、若者の下流志向が増加していると言われています。私もそう思っていた時期もあります。

確かに今の人たちの給料を見ても20年前と変わりません。むしろ低くなっているケースが多いのではないでしょうか。また、働く意欲を無くしているとも言われています。

しかしこうした若者論に私は一石を投じたいと思うのです。

何故ならアメリカ式の大量消費生活に憧れ、その熟れの果てを造った張本人は私たちだからです。

彼らは何もそんな生活を望んでいたのではないのです。私達が押し付けたにすぎないのです。

その私たちも知らず知らずのうちに日本文化の特徴と古層(丸山眞男氏の言葉)によって飼い慣れされてきたのです。

以前にも司馬遼太郎氏と村上春樹氏の著作を比べて、日本文化の異形な側面を説明したように、我が国の文化は類まれな日本的伝統の上に西洋的思想が上塗りされたものなのです。

例えば日米安保について私たちはどれほど理解しているのでしょう。私も含めて怪しいものです。

若者たちはそんな矛盾をはらんだ先人の歴史を冷めた目で見ているのではないでしょうか。

考えてみて下さい。コツコツと満員電車で通勤し、定年まで勤め上げ、老後は蕎麦打ち(これは比喩です)が趣味の大人たちを見て、自分もそうなりたいと思えというのがナンセンスです。

若者は物を買わなくなったと言いますが、本当にそうなのでしょうか。その物に価値を感じてないのではないでしょうか。

我が家の娘も本当に買い物をしません。ブランドものなんかほとんど持ってないです。息子は息子で、これまた物の基準が厳しいのです。ハンバーガーならばマックのハンバーガーが基準で、1000円もするバーガーは論外だそうです。

そうした若者達を下流になったと言い切ってしまうのは、観察者があくまで上位にいて、上から目線で判断したもので、もしかすると社会の構造そのものが、反転しねじ曲がってカラビヤウ多面体のように別の次元の宇宙と繋がっているのかもしれません。

下流だ上流だという論争そのものが、もはや時代遅れのもののかもしれません。

私はいつも正しいとは限らない・・・50歳を過ぎたらそう思うようにしています・・・

死の哲学 アルフォンス・ディーケン

大学の友人の死生観について私なりの考え方を追記しましたが、その友人よりコメントが返信できないと返信を受け、よくよくコメントの設定を確認したらID所有者のみの設定になっていました。ゴメン!!設定をブログメンバーに設定し直しましたのでお許しあれ、しばしこのまま行きます(笑)


友人の死生観はそれなりに彼女の経験から漠然と自分の死に対して抱いている訳で、それはそれで良いと思っています。さらに基本的に軽く行きたいとこの問題をファイナライズしていないのも良しでしょう。

私は直接授業を取ったことはありませんが、母校の哲学科で教鞭をとっていたアルフォンス・ディーケン教授が「死の哲学」の中でとても良いことを言っていました。(以前にも書いたかな?)

疫病や戦争によって、今日ある命がいつなくなるかも分からない中世において、死を受け入れることが大変重要だったということです。確かに人間は死を前にすると、恐れたり、泣きわめいたり、はたまた自暴自棄になったりします。心が平穏でなくなります。それはそれで人間的でもある訳です。

ではどのようにして死を受け入れたのか、それはとりもなおさず「諦念」にあるのです。今日を精一杯生きた、今日を無駄にしなかったそのことが、死を受け入れる原動力になるというのです。

では今日を精一杯生きるとはどんな生き方なのでしょうか・・・・

ある高僧に教えられたことがあります。人間の欲求をゼロにすることは出来ないけれど、無限大の欲求に枠を掛けることは出来るというのです。身の丈を知るということです。すると人間は身の丈に余ったものを家族、友達、地域、社会と還元できる。これこそが人間の幸福なのだと・・・

美味しいモンブランがあったとします。一人でそれを全部食べるより、みんなで食べて美味しかったを分かち合う方がその美味しさも倍増します(笑)

それ以来私の幸福の方程式は決まりました

幸福=√健康×(人間関係+価値共有の時間)

もちろん会社も家庭も全て同じ価値共有の時間です。人間関係とて同じです。係数が健康なのもお分かりですね。そして√が掛っている意味も・・・・

還暦 伊勢正三

ブルーノートとビルボードのスケジュールが送られてくるのですが、今回のビルボード東京のライブに還暦を迎えるショーやんこと伊勢正三氏のライブが記載されていました。

還暦ですか・・・・感慨深いものがあります・・・・

私は四畳半フォークとは少し隔てたようなクールなショーヤンの歌が好きでした。確かに声質は変わったかもしれませんが、曲の質は変わっていません。

つい新しい自宅でレコーディングしたこのアルバム注文してしまいました。

一番好きな曲はやはり、君と歩いた青春でね・・・・変わらないなー・・・・・

KKAFのマーチンを持ってきて息子にピアノで伴奏してもらいますか・・・笑



PER SE/THE FRENCH LAUNDRY

以前にもナパのザ・フレンチランドリーのことを記したことがありましたが、今回はもう一歩踏み込んで説明します。

実はこのアメリカではもっとも予約の取れないレストランとして有名なこのお店はオーナーシェフのトーマスケラー氏が率いています。

彼はこの他にもNYにはこの都会版としてペルセをオープンさせた訳ですが、こちらも予約の厳しいお店のようです。

何故私がこのトーマス・ケラー氏に興味があるかと言えば、このケラー氏は弟子を取る際には「フェルナン・ボアン」の本を読んでないものは取らないと書いてあったからです。

フェルナン・ボアンとはリヨン近郊で死ぬまで3つ星を守り続けたラ・ピラミデのオーナーシェフこと伝説の人物です。

私は個人的に辻静男氏を尊敬しています。フランス文化の片鱗もない東洋の片田舎の国に、彼はフランスのエスプリと料理を伝えたのです。その辻氏が絶賛していたレストランこそこのラ・ピラミデだったのです。

ジュリアン・サバランの「美味礼讃」(先日初版本を手に入れた)と共に辻氏は私の目指すフレンチの教科書なのです。

そしてこのお店こそ、食材の産地や旬を大切に考え、つまり食材としてのテロワールを獲得したものだからなのです。

例えば穴子の旬はいつだか分かりますか。

実は夏と冬2回あるのです。夏だけではありません。

夏の穴子は羽田沖でとれる江戸前穴子でさっぱりしていて寿司だねには欠かせません。一方、冬の穴子は脂がのり、これはまた美味です。しかし、この同じ穴子でも最適の料理法は異なってくると思うのです。

NYに行ったらペルセの予約に挑戦してみます。その前にワイキキのBLTで美味しいステーキとナパワイン、そして12月には京都「なかむら」が待っています。

食べることは生きることです。食べることを蔑ろにしたら人生味気の無いものになってしまいます。

美食家ではなく健啖家と呼ばれたいと思うこの頃です。