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2011年11月1日火曜日

安井かずみ  カパルアベイ

「私の城下町」「危険な二人」「よろしく哀愁」の作詞でも知られるZUZUこと安井かずみさんがカパルアを愛していたことは多くの人が知るところです。

彼女の骨はカパルアのどこまでも青い海に散骨されたのです。

彼女はこのカパルアにヴィラを持っており晩年は何もしないカパルアでの生活を楽しんだようです。

彼女がカパルアを「アングロサクソンしかいないのよ」といっていたことは今でも変わりません。

島の南には日本人がいますが、ここカパルアには日本人は少なく、アングロサクソンばかりです。

安井かずみさんにしても、その夫加藤和彦氏にしても、私たちが若い頃にこんなカッコの良い大人になりたいと思っていた人達です。

2年前に取り壊されたカパルアベイホテルは私にとって最高のホテルでした。今でも開け離れたロービーから半島に伸びる芝生の上を吹き抜ける潮風が忘れられません。

大きなペギーホッパーの絵も印象的でした。

来週からこのカパルア入りです。オアフの滞在もあるのでダウンタウンのギャラリーでペギーホッパーの絵を見てきます。




外に出ろ 

巷で巨額不正融資の疑惑が掛っている某製紙会社の元会長は息子の高校の先輩でもあります。

しかし息子の友達を見ているとお金に関しては彼のような所在の人間はほとんどいません。

どちらかといえばドがつくほどケチの方が多いと思います。

彼は何故、あんな馬鹿な事をしたのでしょう。

以前、アメリカのカジノで働いていたという人と知り合いになりました。

その時、ラスベガスでは「くじら」という特別な客が居て、カジノ側は往復の飛行機代はもちろん、最上級のホテルから現地でのプライベートまで徹底的接待も全て受け持つのだそうです。

彼に言わせると最低10億の原資を持っていることが条件だと言っていました。

彼はきっとこの「クジラ」だったのでしょう。

彼は高校卒業後、そのまま文Ⅰに進み、他の会社に就職することなく親の会社に入ったようです。

要するにそうさせた彼の周囲、つまりお家事情と言うものが彼の能力や知力よりも影響を及ぼしたということになります。

私が大学を卒業してすぐに起業しようとした時に、恩師は私に一度は社会に出て人に使ってもらいなさいと諭しました。今ではその言葉は私の宝物でもあり、サラリーマンとしての経験は今になってはかけがえの無いものです。

そう考えると彼は一度も外に出た事がなかったのでしょう。親が子供にしなければならないのは、その子が社会で生活できる力を持たせることです。お金やプライドではありません。残念な結末です。