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2012年10月31日水曜日

1981年のゴーストライダー Ⅱ



洋一は原宿にあるライブハウスの前の歩道に立っていた。

歩道に取り付けられたカードレールに足を掛けて持ってきたシェラデザインのディパックの中をもぞもぞと探し物をしていた。

ディパックの中には少しくたびれたグレーのフーデットパーカーとJAZZ LIFEという音楽専門の雑誌が詰め込まれていたので、洋一はそれらを一度取り出して丹念にバックの底を探した。

しかし、探し物は見つからなかった。


落胆しかけた洋一の前に少しヒールの高いウエッジにのパンツ、そして白のブラウスを着た健康的に日焼けしたひとりの女性が現れた。

女性は「今、荷物を取りだした時に一緒にこのチケットが落ちたと思うんだけど、これ違う?」とぶっきらぼうだけどどこか悪戯っぽい口調で洋一に話しかけてきた。

そのチケットは洋一がバイトで貯めたお金でやっと買った今日のライブのチケットだった。

洋一はチケットを受け取り、その女性にお礼を言い頭を軽く下げたと思った瞬間、もうその女性はその場から姿を消していた。

洋一はライブハウスへ向かう小道でチケットの表に印刷された真っ赤な球体の絵を丹念に見ていた。

今日のライブに出演するバンド名を直訳すればお天気予報だ。何となく人を食ったようなこのバンドの音楽はジャズのグループ感に今風のエレクトリックな味付けをしたものだった。

洋一はその中でもベーシストが特に好きだった。

ライブが始まると、観客は総立ちになり、彼らの音楽に熱狂した。アンコールの曲も終わり、灯りが付けられライブの終わりを告げた。

洋一は出口に向かおうとゆっくりデイパックを担ぎ直すと、すぐ横に先程の女性が背の高い男性と一緒に立っていることに気づいた。

洋一は彼女に再度お礼を言い軽く会釈して、足早に出口に向かおうとしたが、彼女の方が洋一のパーカー傍を持って「待って」と言った。

一緒にいた男性は彼女に洗面所に出掛けてくるといい、その場を離れた。

洋一は彼女に「ライブに彼と来ていたんだね」と少しばつが悪そうに話しかけた。

彼女は「彼氏じゃないよ、友逹、そう友達の一人」

彼女のその言い方からは簡単には信じられないけれど、まあそんな事はどうでもいいかと思い直し、彼女の指先に目をやった。

日焼けした彼女の腕の先に白く日焼け後の残った指輪の跡がくっきりと目に入った。

彼女は黒いバッグから小さな紙切れを出して、「今度、このライブに行くの、もし良かったら行かない?何となく音楽の趣味似ていそうだから・・・実は今日の人はあんまり好きじゃないみたい、無理してきた感じなの、彼はもっと黒人のソウルフルな音楽が好き見たい・・」

洋一はそのチケットを受け取ると、彼女にそのチケット代のことを訪ねた。

彼女は笑って「これもらいものだからタダなの、大丈夫」と言ってもう一度クスッと笑った。

彼女は洗面所から出てきた男性と洋一の方に手を振りながらライブ会場を後にした。



1981年のゴーストライダー



一人になった洋一は車の中でカーラジオのボリュームを大きくして、流れてくるシーナイーストンのモダンガールに指先のリズムをあわせて、ハンドルをコツコツと叩いていた。

フロントガラスには雨粒が集まり、車の先にあるコンビニの電球が滲んでいった。

曲が変わり、ジョン&ヨーコの「ダブルファンタジー」が流れ始めたので、洋一はラジオを切ってしまった。別にジョンレノンやオノヨーコが嫌いと言う訳ではなかったが、このアルバムのジャケットに使われた二人の写真は好きにはなれなかった。

洋一にとってビートルズやジョンは大人の世界に対する反抗の証でもあった。親や年配者にはよくビートルズのような長髪にするんじゃないと窘められた。そのたびに洋一は表向きは理解したようなことを言いながら、部屋ではヘットフォンをしてヘルタースケルターやゲットバックを大音量で聞いていたのだ。

洋一は一人っ子だった。まわりは兄弟や姉妹のいる家庭がほとんどで、何故かしら洋一は一人っ子であることにある種の罪悪感を感じていた。自分は生まれてくるんじゃなかったという後ろめたさや自責の気持は洋一の心に冷たいキレットの先のようなものを植え付けた。

小袋を紫色のカーディガンの中に隠すように小走りで優子は車に戻ってきた。

車のドアを開け助手席に滑り込んできた優子は自分の濡れた髪と肩を手で払って、袋の中からまだ湯気の出ている小さな白いものを取り出して、半分を洋一に渡した。

優子は半分のそれを食べながらぼんやり外を見ていた。

洋一は自分のそれが「好きな方じゃない」ことを知っていたが、何も言わずに缶コーヒーでそれを流し込んだ。

優子はぽつりと「明日も雨かな・・・・」と独り言のようにつぶやいたが洋一は何も言わなかった。

小さな車はコンビニの駐車場を出て、方向を180度変え西へ向かった。

まだ真っ暗な闇の世界に高速道路の路面に映し出された電燈が影絵のように笑っている。

やがて車は高速道路を降りて、海岸線と並行に走り始めた。

目印の警察署で左折し、まっすぐ伸びる海岸線と垂直な道に出る頃には雨は止んで、洋一と同じような青緑色したサーフラックにボードを積んだサーファーが集まっていた。

東の空が漆黒から群青にそして紫から茜色に変わる。

洋一はシートを倒してその空の色を見ていた。

洋一は優子と出会った3カ月前の事を思い出していた。

2012年10月29日月曜日

西武線の相剋


三浦展氏も紹介していましたが、この本中々です。知り合いに頼まれて数年前にこのエリアに仕事で足を運んだ経験があります。

大西武を築いた堤康次郎はご存じのように大の左翼嫌いでした。

この沿線は東急と違って宅地開発にそんなに積極的ではなく、結果、団地が多く生まれました。

私の知り合いの弁護士ももれなくこの団地の一つに住んでおりました。(もちろんこの弁護士先生も**弁護士会所属のバリバリの左翼です)

この先生の例に限らず、某党の書記局長や昭和の思想史に名を連ねる左翼の大物がまるでうずくまる動物のようにこれらの団地を居を構えていたのは偶然でしょうか。

堤氏の思想とはまさに相剋します。

そしてそんな団地が老朽化とともに住民は減少し、高齢化の勢いが止まりません。

思想とは何でしょうか、一時のファッショなのか、それとも永久に続く時代の裏側なのか分かりません。

ただ、消えてしまった訳ではないでしょう。

首相官邸を取り巻いたデモの姿をみて、脱皮し、化体した思想の怪物が覗き見えた気がしたのは私だけでしょうか・・・・

2012年10月25日木曜日

時々立ち止まり  読書

以前にもお話したと思うのだけど、私の特技の一つに速読があります。訓練の賜物と言えばそれまでですが、息子が中学の時には既にそのスピードは抜かれていたので大したことはないのですが、一応普通の人より早く読めます。

そのおかげか読みたいと思う本は常に3.4冊買い置きしてあります。でも面白いと思う本ほど早く読めちゃうから矛盾して、例えばずっと発売を心待ちにした村上春樹氏の1Q84なんか2時間掛らず読み終え、場面の細部までイメージ出来るのに、これがすぐ終わってしまう。

でも全ての本がこの方式かと言うと違うのです。1年に2.3回読み返す本もあります。こうした本はページに気になるところをチェックして再度チェックする読み方をする訳で、経済、経営やマーケティングの本に多く見られます。

一方、こんな短い周期とは別に10年、20年経って読み返す本があります。私のコンドラチェフ周期にあたる本です。

今、読み返しているのは中根千枝著「タテ社会の力学」です。批評家の間では、古臭い理論だとか、右肩上がりの日本にしかあてはまらない、そもそも理論そのものが破たんしているとか、散々の評価ではありますが、私は一向に意に介しません。

私は偶然、この本を取り上げた一般教養の授業を受けていました。本人ではなく御主人の方の。授業の印象は本人の著作でもなく、さりとて他人でも無い人の本を説明するその御主人の微妙な距離感が面白かった事を覚えています。

当時ははっきり言って内容そのものは、「そんなものか」という程度にしか思いませんでした。

しかし、今になって読み返すと、ここ違うんじゃないかな、いや、この見方は面白いと、色々な所に発見があるのです。

数年前から、家族論、ジェンダー論などの本を読み始めました。最近では山極寿一氏の本など動物を対象にした家族論、集団論を読みながら父系社会、母系社会について考察していたので、当時の(30年前)とは大分、基となる知識の量や種類も違うのでしょうがそれにしても、多くの発見があります。

有名な言葉に「我々は我々の知っている事しか知らない」といものがあります。その通り、人知の及ぶところなど物凄く小さいのです。

今日もこうして今にいながら無限の冒険に旅立てるのは幸せじゃないですかとページをめくるのです。

それにしてもイエール出のMichelle Shaprowの歌声は良いなあ!!

2012年10月24日水曜日

整形外科医のひとりごと

家の近くにある掛り付けのM整形外科医院はいつも大繁盛である。老いも若きも老若男女が集まってくる。7.8人以上いるスタッフはそれぞれ分担しながら、しかも緊密に連携を取っている。

そんな塩梅だから患者を大切にしようとする気持が伝わってくる。理学療法と診察とリハビリを上手い具合に回しているのである。

そこへ行くと大学のそれはどうであろう。数時間待って診察は2.3分なんてことはざらである。若い医師はあまり患者を大切にしない。いや私がそう感じているだけかもしれない。

しかし、それはそれで良いのではと思ってしまう。もし街場の開業医が大学病院のようにやろうと思っても出来ない訳で、その逆も大学病院では困るのだ。餅屋は餅屋ということであうか。

人間、歳を取ればカ゜タは出てくる。友人が足裏に痛みを覚えたといって整形外科を受診したら「モートン氏病」と診断されたという。私もやったことがあるが、要するにもう無理はせず体のご意見を聞きながら(尊重しながら)やりなさいということなのだ。

私の場合はロードバイクに乗りすぎて、足裏の負担が増加し神経叢を圧迫して発症したが、自転車を少し乗らなかったら傷みも引いてまた動かせるようになった。

ただ、注意しなければならないのは彼らは骨折や皹が入っているような骨の異常については容易に見つけられるが、筋肉や腱、神経の圧迫,ダメージについては推測しか出来ないのだ。

なんだ駄目じゃないかと思うなかれ、それでいいのだ。これらの骨以外のダメージからの回復は3カ月すればきちんと修復されるのである。途中で無理して動かさなければ、人間の力で治っていくものなのだ。

私の場合は、頸椎も腰椎も椎間板が薄くなって、腰に負担が掛ればすぐ発症してしまう。

そうならないように背筋や腹筋を鍛えようと努力するのだが、その途中で発病したりして思うようにならないものである。まさにジレンマである。

痛みを我慢する必要はないが、多少の痛みは体を無理して動かさないようにしなさいという脳の命令なのです。

そんな事をつらつらと考えていたら、外科研修の息子が帰ってきた。週末は群馬県に行くそうである。あちらのT門会が御招待してくれるそうである。

どんな治療が良いのか、聞いてきておくれといっても息子は笑うばかりであるが・・・・・・・

2012年10月22日月曜日

1979 

経由便の格安航空機の一番後ろの席で足も手も伸ばせない恰好で青年は眼下に広がる青い海を見ていた。

飛行機は徐々に高度を下げ、左旋回しながら陸地に沿うように着陸の態勢にはいった。

車輪が2.3度もパンパンと激しく上下しながら飛行機は陸地と一体になった。

長い入国審査の列を終え、飛行場の外に出ると、なんともいえない香りが漂ってきた。

どこにこの香りの元があるのかと青年は目を追ったがそれが観光客相手に売っているレイの匂いだと分かるのはずっと後の事だった。

南国の日差しは、雲から抜けると容赦なく照りつけてきた。青年はペーパーバックを鞄にしまい、バスの前方に座り、高速道路から見える山並みを見ていた。

海の色はそれぞれの場所で違う。東南アジアのとある島は日本ではよく売られている入浴剤のような薄い緑色だったし、インド洋に浮かぶ楽園と呼ばれる島々のそれは透き通るような水色だった。

ここの色はとても深い青である。こんなに深い青を見た事が無かった。とにかく深い青。

青年の荷物はダッフルバッグひとつ。カーキ色のそれはそうとうくたびれていた、あちこちが破れていた。

青年はその鞄をいたわるように抱えてバスを降りた。

乗り換えのバス停で、青年の横に日焼けした女の子が座った。

手足がすらりと伸びて、何一つ屈託のない女の子はこの島特有の空気を運んでいた。

女の子は青年に行き先を訪ねながら、長い黒髪を後ろで束ね始めた。

その仕草は少女でありながら、これから成長する彼女の将来のように明るく、芳醇であった。

ルナリロはここからそう遠くない。

青年はこの少女と一緒にバスに乗る。

少女はパスが通り過ぎた小さな日用品店を指さして、あそこが私の叔父の店だと言う。

お世辞にも綺麗とは言えない店は、バスの排気ガスと乾いた空気でぼんやりして見えた。

青年は眼鏡をはずして、もう一度少女を見た。






2012年10月18日木曜日

証左 

私の敬愛する方で、わが社の法律顧問をしてくれているK先生が良く使う言葉であり、とても大切にしているのがこの「証左」・・・

どんなに法律論を戦わせてもその土台となる部分がぼやけていてはとうてい法廷では受け入れられないという。

裁判に限らず、この証左にあたる仕事はとても大切と考えている。

私生活は別としても私は仕事ではこの証左を求めることにしている。

人間の基本はまずその人となりがどんな人なのか、十中八九初対面の印象で決まる。

そのためにどんな言葉を使うのか、とんな身だしなみなのか、それによってその人のバックボーンがすべて見えるのである。

背広や革靴で人はごまかせない・・・すべてお見通しなのである・・・今日も証左に当たる仕事をした・・・・・



白鯨 少年の記憶 読書

今のように欲しい本があると買ってもらえる環境でなかった私は本をとても大切にしていた。

誰かからもらったか忘れたが、メルビィル著の白鯨を読んだ。読んだときの印象ははっきりいって怖かった・・楽しい本ではなかった。今日グーグルの表紙だったので思い出した・・・

私は鯨よりそれを執拗に追い求める人間のほうが怖かった・・・・人間の性とも言うべきか攻撃性と復讐心・・・心底、怖かったことを記憶している。

だからホエールウォッチングにはまったく興味がない・・・・

ところで本の少ない少年の読み物は何であったか・・・・それは百科事典・・・母が清水の舞台から飛び降りて買ってくれたジャンルジャポニカ百科事典・・・・万有百科大事典とも言った・・・これは読みたいジャンルに分かれていてもっぱら歴史と地理を溺愛した・・・辞典は磨り減ってぽろぽろになった・・・・・でも同じ本が2冊送られたりしても誰も文句を言わなかった・・・不思議だな・・・

毎日、布団の中で世界旅行や時空の旅をした・・・・・

いったことのないタージマハールや敦煌の遺跡、イグアスの滝も私は10歳にも満たないのに見てきて記憶したのだ・・・

大人になって観光にも興味のないのは、きっとこのときの経験がすでに私を連れて行ってくれているからかもしれない・・・

記憶こそが最大の旅の産物だとすれば、今日も旅をつづれられる幸せに乾杯だ!!・・・・・・・

カイルアに向かう橋の袂にあるアンテイークショップにきっと私の好きな黄色っぽいファイアーキングのマグカップが並べられる頃だろう・・・・きっと・・・・・・雨もあがりはじめた・・・・・




2012年10月17日水曜日

アマゾンが選ばれる理由

ネットショッピングが一般に浸透して消費の仕方も変わりました事は既知の事実。

その中でも色々と新手の商売も現れては来ましたが、淘汰されて今の残っているものは信用性と簡便性を兼ね備えているもののようです。

例えば商品名が決まっているものを買う場合には価格COMで値段を調べます。一番安いからといってすぐに飛びつきません。送料が別に掛ったり、クレジットが使えないものがあるからです。

そこへ行くとアマゾンは早くて安心です。多少の差ならアマゾンを選んでしまいます。

今日もたかが10数年しか使ってない電気ポットが経年劣化で嫌なにおいがしてきました。線が焦げているような匂いです。仕方ありません、あと10年は(笑)と思っていましたがアマゾンで購入しました。量販家電店で買うよりも8000円近くお得でした。

明日には届く予定です。

政治と宗教

我が家の家訓は政治と宗教の話題だけはしないことにしている(笑)のですが、世の中のブログやフェイスブックでも自分の信条や主張を繰り返し、挙句に巻き込みながら行おうとしている輩のなんと多い事か・・私は公開範囲を実際に会っている友達に限定していてもこれなんですからね気をつけなければなりません。

もっともSNSを積極的に利用して自らのビジネスに役立てる方法もあるでしょうからそれはそれで仕方ありません。でも、個人で1000人の友達なんてそれ自体私には気持すぎます。

我々は言葉を持ち、さらに文字を持ちます。山極寿一先生の本によると、人間も猿も互いに言葉のコミュニケーションなく以心伝心出来るのはせいぜい12人~15人という事でした。猿も人間もその能力は変わらないということなんです。一応参考までに覚えておいて下さい。

ところで政治の話はしないとと言っていましたが、政治特に国際政治に興味が無いわけではありません。

ちょうど3年前のブログを見返すと、ディエゴガルシア島の事を書いていました。世界地理に相当詳しい人でもどこにあるか分からない人が多いと思うので、一応ご説明しますと、えーと大雑把にはモルディブとセイシェルの間あたり(大雑把すぎますが・・笑)にあるのです。現在は横須賀基地の監督下にある米軍の軍事基地です。所領は英国です。

つまり中国海軍のシーレーン構想は今に始まったものではなく、ずっと前からこれらの構想は練られ着実に実行に移されていたのです。尖閣の問題は今に始まったものではありません。たまたま中国のそういった事情から静観ししていたところ、東京都や国の取得と言う待ってましたとばかりの慶事を与えてしまったのです。まさに思うつぼです。

中国人個人には親日派の人もいれば、理性的な判断をする人もいます。どこの国も同じです。しかし、国は違います。あくまで一党独裁国です。大中華思想というものは永遠に持ち続けるでしょう。

一方、経済はどうでしょう。日本の財界は政治と経済は別と言いますが、そんなことはある訳ありません。政府が大多数の国民の意思を誘導することが出来る以上、別であるはずがありません。

日本の海外投資戦略は遅れています。バブルの崩壊によりそれもままならぬ状態となった訳ですが、チャイナマネーは直接現れません。日本のようにアメリカのメルクマークになるようなビルを買ってアメリカ人の恨みを買うようなことはせず、ファンドを利用し出資し、リタターンを得るのです。
マレーシア(=華僑)の人達が次々に日本にファンドを設立しているのもその一例です。
そのあたりは日本人より欧米人に近いかもしれません。日本人は目に見えるもの、形あるものに拘るからです。

先日、ソフトバンクが米携帯大手を買収しました。これなんか日本的な発想ではないと思うのです。でも孫さんにはその先の収益を生むシステムが見えるのでしょう。

収益とはそのもの(建物や土地)が生みだすと思っている人が大半です。違うのです。お店を作っても作っただけでは収益にはなりません。ちゃんと機能しシステム化されなければただの箱なのです。
肝要なのはこのシステムを作ることで、箱を作る事ではありません。

先日、京都のウェスティンホテルに滞在しました。立地はいいのですが、いかんせん施設が古い。

そしてサービスが最悪です。クラブフロアーの客室はまだしも(この時は一杯)他の客室はひどいものです(窓の鍵が開けにくい、屋根の塗装はボロボロ)さらに朝食は3500円以上するのにその内容は惨憺たるもので暗い2階で取るその朝食は団体旅行のイメージそのものです。

さらに食べている最中にお皿は下げるし、ぶっきらぼうなウェイターは気分を害します。

外国人客が出掛けに、設備が古いね、次はフォーシーズンかリッツに泊ろうと言っていた事が印象的でした。

日本の企業風土は鎖国的です。英語が堪能で海外経験の豊かな人材も、イングリッシュスピーカーとレッテルを貼って長用しません。ますます、井の中の蛙化が進み駄目になるでしょう。

まずは我がふり直せ、気を付けて視野を高く、鷹の目でいきましょう・・・・・・






2012年10月16日火曜日

マッチング理論

今年のノーベル経済学賞はマッチング理論の構築と実践のアルビン・ロス教授とロイド・シャブレー名誉教授に授与されました。

ノーペル賞というものもはやりすたりがあるようで殊、この経済学賞に至っては2010年にもこのマッチング理論に関する研究者に与えられているのでまたかという印象です。

日本でもこのマッチング理論をもとにして大学の選択基準(入試の選抜方法と選考)などの研究もなされていて、アメリカでは実際に臓器移植の際のドナーとのマッチングにも応用されているそうです。

条件が複雑になり、選択の多様性が増す状態になればなるほど、どうやらこのマッチングは効果をあげるようです。ならば多様性の現代はこのマッチングが重要なキイワードとなることは明白です。

そもそもロイド・シャブレイ氏が安定結婚問題と称するマッチング理論を世に出したのが1969年ですから、この二人にとっては決して早すぎる受賞では無かった訳で、我々のような門外漢がとやかく言うのは控える事にします。

個人的には何故村上春樹氏が受賞しなかったのか、不思議で仕方ありません。ノーベル賞を取るも取らぬもほんの少しの違い、運とタイミングという気がしてなりません。

2012年10月15日月曜日

ある家族のお話

皆さん、今になって娘は持つものじゃなかったと思います。こんなに辛いのは娘を持ったせいですから。
妻は生まれ来てくれただけでもう親に全ての恩を返しているといいますが、それを割り引いても本当に辛いものです。身を引き裂かれるというか、体の一部が無くなってしまったようなうつろな感覚です。もちろん娘の門出を祝福していない訳ではありません。

相手の男性にとやかく言う訳ではありません。でも、辛いのですよ。
妻がポロリと言った「家族は4人だよね」と言う一言が心に刺さります。ずっと4人で暮らせるはずはないのに、でも4人でいたいという思い。それは消し去る事は出来ません。

娘が生まれた時に私達は親になりました。それまで自分が中心だった世界が子供が生まれたときから優先順位がころっと入れ替わりました。辛いことも嬉しい事もこの4人で分けあってきました。全ての記憶に家族の姿がラップします。残像は厳しすぎる現実です。家の中には娘と暮らした27年の足跡があちこちにあります。柱の傷を見ても、娘の部屋を見ても娘が嫁いでいった事実を受け止めることなどまだ出来ません。

娘は結婚して自分の子供を持った時に、初めて親の気持ちを理解できるのでしょう。そして私達が味わっているこの深い悲しみもいつかは輪廻転生のごとく味わうことになるのです。私だって子離れや教育におけるキャッチ&リリースの重要さを理解しています。理解してはいるけれども心が言う事を聞かないだけです。

娘がこれから暮らす事になる駅前の写真を眺めながら、そこで暮らすと覚悟を決めた娘に驚くとともに、親とは違う考え方に賞賛を送りながらも寂寥感が重くのしかかります。私の信条として親と同じベクトルを持った子供に育てる事を良しとしなかったのですから、当然の帰結ではありましょうが心が言う事をききません。多様性こそが生物生存の原理だとすれば喜ぶべきことなのですが、それさえ上の空です。

感情と言うのは無理に抑えつけようとすればするほど膨張して最後に爆発します。そんな風にならないためにも日常の中で吐露しながら暮らす事になる訳でしょうが中々上手い塩梅にはいかないものです。

私達の人生は若い時に考えていた漠然とした自分の人生と同じだったでしょうか。私の場合は全く違っていました。横浜で暮らして20年になりますが、ここで暮らすなどと思ってもいませんでした。娘達もこれから先どんな人生が待っているか分かりません。その時々で親は子供達の港になり、暴風雨や荒れ狂う大波から小舟を守れる存在でいたいものです。人生良い時もあれば悪い時もあります。そんな子供達の人生の港であるべく老境の心構えとしたいものです。昔から言います。苦労は買ってでもしろと・・・

2012年10月11日木曜日

家族論

友人の一人は今の私をみて、小津安二郎の映画に登場する淡々と時を過ごす父親を掛け合わせ、また別の友人はエリザベステーラー主演の「花嫁の父」の正反対の状況だと冗談のように言うのだけれど(言っておきますが正反対の経済状況ではありませんから)どちらも正しく、どちらも間違いなのです。


尤も小津作品には色々な父親が登場するのでどの父親か分かりませんが、要するに嫁に出す父親の心境と言うのはあっちへ行ったり、こっちへ行ったり揺れ動く水面の木の葉のようなものなのです。

手放す悲しさや寂しさの半面、成長した娘を祝う気持ちや安心した自分もいて、なかなか一筋縄ではいかないものなのです。


そんな中、木の葉の私は、猿の研究の第一人者の山極先生のこの本を読んでいます。これによると人間の家族に対する感情は確かに特別なものであるけれども、猿にも同じような行動が見られるようなのです。

多くの哺乳類は子供が生まれると、その子を守ろうと親は必死に敵対するものに対して保護行動を取ります。人間とて同じです。赤ちゃんに対する何物にも代えがたい守ってやるという心境はまさにそれです。

そして、子供が大きくなるにつれ、食料の採取の方法や外敵から身を守る方法を体を持って教えます。人間でも家から徐々に大きな社会に出て行き、社会との親和性を身に付けるようになるのと同じです。

そして最後は自立です。動物の場合、この自立は親子の縁を切る訳です。たとえその後に会っても親子としての対面ではなくなるのがほとんどです。

そこへ行くと人間と言うものは何と未練たらしい事か、孫の面倒をみたり、その後も親子としての関係を継続します。私達より先輩の多くが孫の写真を財布に忍ばせて、時あるごとに人に見せるのは多くの方が目にしている一般現象でもあります。私はここで宣言します。友人との語らいの場で孫と病気の話はしないと。まあ、聞かれれば別ですけど、私の方からする事はありません。嘘だと思ったらペナルティをお付けします。第一、孫が可愛いというのは婚外した子供に自分との関係性を強制できないため孫にその分を投影し、ただ可愛いという誰もが反論しえない状況を仮定して、演じていると思うからです。

子供は一生子供です。どんなに歳をとっても変わりません。それこそが他の哺乳類との大きな差なのです。人間と言う動物は他の動物と違って抜群の記憶力と想像力が働きます。過去の子育ての歴史がどんなに辛い記憶でも美化し、記憶の中に留めて置く時には懐かしい哀愁のあるものに作り替えます。そして子供との関係性を心の中で保とうとするのです。だから子供が手元から離れても、小さい頃の記憶を呼び起こし、再現させるのではないでしょうか。

これだけ言っているのですから、決して財布の中には孫の写真を忍ばせて人目を気にせず見せびらかすような愚挙はしません。せいぜい、パソコンのデータファイルに娘と孫の写真を取りこんでおくだけでしょうが・・・・・

2012年10月9日火曜日

イノベーションのディレンマ

山中信弥教授のノーベル生理学・医学賞受賞おめでとうございます。

いつかは受賞する業績ではありましたが、近年のノーベル賞は慎重になりすぎるきらいがあり、画期的な業績を残してもそれが間違いでないと判明するまで、過去の倏疴からか中々受賞させない傾向にありました。よって受賞者は高齢になり、場合によってはこの世にもういないなんてことが多くありました。ですから、今回の受賞については研究者のはしくれである息子も驚いていました。

しばらく前に写真の本を読みました。内容は端的に言ってしまえば、優秀な経営者のもとでは画期的製品=イノベーションは生まれないというものです。



確かに多くの日本企業はそこらじゅう見回してもその手の例にもれません。

物作り大国として海外に胸を張っていた大企業メーカーはこぞって優秀な社員を獲得していきました。大学生も自分の優秀さをはかるスケールとしてA数を多く引き連れてこれらの企業に就職しました。結果、保守的になりエリート経営者を生みだし、過去の遺物を引きずったのです。

ある液晶メーカー(すでにこの手の呼び方に変わっている)など好例です。

では何故、山中教授はこの画期的発明が可能だったのでしょうか。彼がエリートでないなどとは言いません。しかし、彼の何が普通のエリートと呼ばれる人と異なっていたのでしょうか。

私が彼の略歴を見る限り、決して一直線の道程ではなかったような気がします。まずはお決まりの臨床医としてデビューします。それも内科医ならまだ分かりますが、整形外科医としてです。

その彼が色々な人との出会いを通じて、本研究に至った訳です。まさに一直線、最短距離の成功ではなかったが結果としてまだ若い年齢での受賞に至った訳ではないでしょうか。

つまり、遠回りをした結果、彼には多様性のある人々が集まり、さらにその中で今までの慣習や制度に囚われない自由な発想を後押ししてくれるパトロンが現れ、研究が進んだとみられます。

そうです伊藤穣一氏の言う「コネクト」であります。

確かに彼の在籍する京大はその校風からして自由で風通しがよく、権威的で保守的な東大と比較されます。

そうしたすべてのセレンディピティが次から次へと登場し、たまたま結実したということではないでしょうか。

ノーベル賞そのものが時代と共に変遷し、本来の意味から少し距離を置き、自らが権威的となり、若い研究者の励みというよりも、象徴的となりつつあったことに、この受賞が反撃してくれたことは私には嬉しい事です。そして、息子達にはさらに「パンのため学問はするな」と強く伝えたいと思います。

2012年10月5日金曜日

カメラのこと

息子に言わせると私はカメラが好きなふりをしているそうである。まあ、確かにずっとカメラマニアだった訳ではないし、つまるところ必然に駆られてカメラに興味を持った訳であるから言われても仕方あるまい。

そんな私がカメラを選ぶには二つの決めごとをしたのである。こう見えても私は自分の中に一応の境界線というものを設定して身の丈をわきまえるようにしているのだ。

例えば車、50歳までは絶対にドアが2枚の車には乗らないと決めた。2枚の車を買ったのは51歳だった。そして、もうひとつは妻も運転できる比較的(ここが大事)壊れない車であるということだ。

だから、イタリアやフランスの車は御法度ということになる。

自転車(ロードバイク)に限ってはこの境界線をあげている。金額による分け隔てはない。ただし、電動の変速機には興味が無い。だいいち、自転車が車やオートバイに近くなったら自転車に乗る意味がなくなってしまうからだ。

そこへいくとカメラの場合は少し複雑だ。私にとってカメラは街歩きや何気ない日常の風景を切り取る日記のような役割をするものと、もう一つは対象物を決めてから写す、ややコマーシャル的要素のものとがある。

日常を切り取るには操作性と携帯性が大切だ。レンズを付け替えたり、袋から出したりしている間にシャッターチャンスはなくなる。コンデジで十分である。

それにである。写真の上手い人と言うのはこの観察する目のセンスがいい。だから、私達が見逃してしまうような一瞬を見過ごさない。ならば凡人の私は尚更、見る目に集中するべきだと思うのだ。

撮り方にもこだわりがある。よく写真館の応募フォトにあるような風景画を撮るのは好きではない。

三脚を構えて、暮れゆく夕日と富士山のような作画が私の理想とするものではないのだ。

あえて言わせてもらえば木村伊兵衛やアンリブリッソン、そこまで行かなくても武田花さんのような(それでも目標が高すぎる??)のような写真を撮りたいというのが私の無謀な野望なのである。いつかは時間さえもとらえたようなそんな写真を撮る事が夢なのだ。

だから、こだわりがあるとすれば、カメラがその街の雰囲気を顕してくれるかということがある。以前フィルムのときに使っていたコンタックスはその点微妙な色合いを映し出していた。

パリやニューヨークのある暗さや重さを表現したかったからだ。

つい最近手に入れたライカのコンデジX2もこのあたりが気にいって買った。以前の光学式ファインダーに変えて登場した電子式ファインダーはほとんど実際の映像のように見える点も秀逸だ。

では物撮りではどうか。物撮りに限らず動物や動く対象物にはコンデジは弱い。運動会で走る子供を獲るにはどうしても望遠のついた一眼が欲しくなる。さらに接近してとるクローズアップ撮影もマクロレンズを付けて撮ると素晴らしい作画になる。

ここで私は境界線を設けたのだ。

いまのところオリンピックの報道陣のカメラを見ていてもニコンとキャノンが2大メーカーであることに変わりはないが、あとはそれぞれの作画が好きか嫌いかである。私は前述したようにあまり人工的に明るい写真は好きではない。その点でニコンを選んだ訳であるが、もうひとつの重要な点は、キャノンはニコンに比べて後発のためデジカメ以前のレンズはほとんどない。逆に言えばほとんど全てのレンズが使えるということになる。

そこへいくとニコンはデジカメ以前のレンズが膨大にある。そこで同社はデジカメ以降のレンズをDX規格として以前のFX規格のレンズ区分けしたのだ。これによってニコンは同じメーカーでありながら機種によって使えないレンズが存在する事になった。

このFX規格のレンズは素晴らしい、プロがこぞって絶賛するだけのことはある。ただし、この世界もライカのRレンズ同様高価で奥が深いのだ。

という経緯もあり、私のカメラ選びのポイントは①ほんどのレンズが使えるようなフルサイズは買わないこと。(ニコンで言えばD3やD4)そして②もう一つはライカのRレンズが付けられるものは買わない事だ。

カメラの場合、確かにレンズによりその映り方は大きく差が出る。しかし、そのレンズの世界にのめりこむとそこはまさに底なし沼である。

ライカのエルマリートやズミックスが使えるとなると当然そのレンズの性質上、防湿庫に保管しなければならない(すぐに埃やカケの原因になる)さらにFXの400mm以上望遠レンズはどれも驚くほど高価でかつ大きさも尋常でない。カメラを撮ることに集中する気が無ければ持ち出せない代物である。

ということでカメラの境界線が出来あがったのだ。でもこの境界線は国境とは違い、あっと言う間に領海侵犯され崩壊する危険性を孕んでいる事は事前にお伝えしよう・・・







2012年10月4日木曜日

セレンディピティ 伊藤穣一



昨日、NHKで伊藤穣一氏のロングインタビューが放映されていた。

私はブログを始めた時にこの本を読んだ。

御存じのように彼はいくつもの顔を持ち、現在MITのメディアラボ所長という肩書も持つ。

私は汐留の電通ホールで行われた講演会で直接聞いた事があるが、個人的には彼の著作を読むよりもこちらの方をお薦めする。

何故かと言われれば、微妙なニュアンスが伝わってくるからだ。

彼の妹はカリフォルニア在住の文化人類学者である。恥ずかしながら私は彼女のBENTOBLOGの愛読者である。

もともと研究者の父を持つ彼の家庭は日本とアメリカをいったりきたりしていた。さらに彼によれば人生最大の転機は父の恩師でもあるノーベル賞化学者の福井謙一氏の言葉だったという。

彼はきちんと決まり切った結論しか持たない大学の授業に辟易していた。そんな折、先生の言葉が心に響いたという。

世の中の不思議な動きはまさにカオスであり、彼はその研究を独学で行った。

彼のセレンディピティの始まりである。

誰でもこうした人生の転機を持つのだが、それに気づかずそのまま消えて行ってしまう事が多い。

彼は多様性を大切にする。日本的組織はその点に置いて弱い。均質な教育が均質な経験をつくり、組織は硬直化する。

彼は色々な経験をしてきた。IT企業の創立者、クラブDJ、NPO法人・・などなど・・それがどれも有機的に関連し合い、今に生きている。

入学したころに息子に留学について聞いた事があった。あの頃は留学しても時間の無駄とばかり効率性を優先し、外に出て行く事に消極的だった。何と今時の大学生気質と落胆したものだった。

あれから5年、今や明確な目的意識を持ち、チャンスあらば海外で経験をしたいと言っている。

まさに青天の霹靂!!かの環境のなせる業か。

「創発」と言う言葉も彼がよく使う。一人では考えられる事は限られるが、多くの多様性をもった人と交われれば、必然的にその解は多くなり、景色は広がる。

まさにセレンディピティとは人との出会いそのものである。

今日も一流会社を辞めて、コーヒーの販売会社を興したいという相談者が来る。楽しいではないか、まさにそこにこそセレンディピティが潜んでいるのかもしれないのだから。



2012年10月3日水曜日

驥尾に付す

この歳になって嬉しい事は、私の周りには素晴らしい先輩がいるということです。

同年代の友人もそれはそれで楽しいのですが、歳が一回りも違っても全然ふけていないどころか、こちらの方が刺激を受けるような新しい事にチャレンジしている姿がまばゆいばかりです。

こうした先輩に共通して言えることは、常に自分の経験知を更新しているところです。留まって澱んでしまう水とは大違いです。まさにLike a rooling stone!!

知というのは常に新しいものと繋がりたがります。これは人生と同じで毎日私達は何かの出会いがあり、その出会いをセレンディピティとして受け入れ昇華出来るかどうかが人の人生では大きな意味を持つことになる訳です。

いみじくも私の恩師は「縁」を大切にしなさいと教えてくれました。その当時はまるで何のことか分かりもしませんでしたが、30年経ってその縁を大切にしてきた人間とそうでない人間の違いがはっきりと分かります。

もちろんどんなに大切にしたい縁でも次第に薄れていくものもあり、それもまた現実です。

前の会社で広告畑で第一線を歩んでいた先輩が、肩書きも何もかなぐり捨てて、水彩画の教室を開きました。

当時のその行動には素晴らしいという賞賛の声が多い半面、何故だろうという不思議がる声も多かったのも事実です。

そして今私の大切な犬友の先輩がこの画塾に通っています。

水彩画をやる人に悪い人はいないといいます。その通りでしょう。そして権威的でないということも、ただし、その裏側には物凄い量の経験と実績を踏まえた上での確固たる自信に裏打ちされているような気がします。

柔らかさは強さでもあります。自在に流れる水はその象徴です。

今週いっぱい、あざみ野の市民フォーラムでこの先輩の画塾の展覧会を開催しています。

是非、お近くにおいでの際には足を運び下さい。必ずその水の力強さを体験することができます。

http://y-gajuku.com/

2012年10月2日火曜日

関税について

これまでも海外から個人輸入を何回か行った事はあるが、その都度関税が掛ったり、掛らなかったりしていた。犬友のRパパ宜しく掛らなかったらラッキー、掛れば止む無しと腹をくくっていたが、今回は少しだけ調べてみる事にした。

むろん個別の国同士の関係から税率が変更されたり、法律の特例などを考えれば膨大な量になるので今回はこのところ良く利用する自転車のパーツについて的を絞ってみた。

自転車のパーツもちろん個人輸入に限る訳ですが、これが原則無税なんです。これは知らなかった。例えばセラサンマルコのこのサドルは通常2万1千円です。これが海外の通販サイト(wiggle
)では1万3766円です。実に定価の65.5%。

これはいくらなんでも価格差がありすぎる、ということで海外サイトにオーダーをすると約2週間で手元に届く事になる。

この時に関税を支払う必要があるんだけど、通常は郵便局がこの関税徴収の代行と手続きを行う。

パーツは免税なのに何故??実はここで課税されるのは消費税。原則1万円まではこの消費税も課税されない訳で、1万円を超える部分に消費税4%が課税される訳。

さらにこの消費税本体(端数切り捨て)に25%の地方消費税が賦課されることになり、合計で600円の消費税負担となる。

これに通関手数料(徴収手数料のようなもの)が200円掛って合計800円の負担となる。

なんでこんな事を調べたのかと言うと、このところ税関の課税が世界的に厳しくなっているようだから。

先日もドイツで音楽家が自分の使っていたバイオリン(ストラビィバリウス)を海外のコンサートに持ち出そうとしたら1千万円以上の関税を掛けられたとニュースで聞いたから。


だって金額は微々たるものかもしれないけど、娘の結婚式に持っていこうと思っている1985年と1995年のエノテークをきちんと申告して持っていくべきか今熟考しているからなのね・・・・ということで今日税関に問い合わせをしてみることに・・・・

成田税関に問い合わせしました。ワインについては申告は要らないけど免税範囲はその入国する国によるとのこと、つまアメリカなら州による違いはあれど一人一本までは免税の範囲・・・

これってロマネコンティでもおんなじなのね・・・ちょっと不思議・・???確か課税価格の算定方法が難しいからか・・???普通のヴァイオリンとストラビバリウスもねぇ???


忘却 ときどき振り返り

数年前に何をしていたのかなんて覚えていられるはずがありません。もちろん日記でも付けていれば別ですが。

私の場合2008年からブログをはじめました。つまりブログは一種の備忘録なんです。

4年前つまり2008年の今日、10月2日は仲の良かった先輩達とT先輩のお見舞いに戸山の病院に行っていました。

当時の文章を見る限り、先輩は辛い化学療法に必死に戦っていたようです。

帰りの車の中で30年近く前に先輩達と就労時間の間隙をぬって!!(T先輩だけ不思議と怒られなかった??)よく通ったシスコやタワーレコードの話でしばし盛り上がり、明けない夜は無いと先輩の生還を信じていた頃でした。

そして1年後、先輩は帰らぬ人となってしまったのです。

その後もこのメンバーで1年に1回程度会っています。今回もそんな先輩を偲びながらお互いの健康と無事を確認し合いながら杯を重ねる事にしています。

今回は不肖私目が腕によりをかけて美味しい料理を作ろうと画策しております。

場所はKKAF、日時は2012年10月20日(土)です。娘も岡崎に嫁ぎ、空席が目立つ我が家ですが、どうしてこんな素敵な友人達との再会も私達を応援してくれることでしょう。

もっとも今週末には犬友がそんな私達を気遣って???飲みに食べにやってくる予定です・・・娘の御主人の初お披露目でもあります。あまり苛めないで下さいね!!

だって鮫の群れの中の金魚みたいなものですから??????

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今日の朝方の月は西の低い空に大きく輝いていました・・・村上春樹の1Q84の二つの月のようです・・・・・







2012年10月1日月曜日

良い宿とは・・・

色々な旅館やホテルを泊りながらつくづく良い宿とは難しいもんだと思うのです。

不思議な縁でSパパが宿屋の親父をやっていた関係で(笑)一緒に色々な所に連れて行ってもらいました。

もちろん普通じゃ泊れないようなところばかりです。こうした超高級ホテルや旅館は別として私が行った事のある中でどういうものが好きなのか考えてみると中々難しいのだと分かります。

伝統や格式だけではもちろん満足できません。さりとて最新のモダンなインテリアと設備があれば良いという訳ではありません。

料理店にしてもなんとかガイドの星が並んだ白眉を引くような高級店は一度は足を運び美味しいと思う事はあっても2度3度行く事はほとんどないような気がします。

好きな店と良く行く店が違うのかもしれません。私の場合はやはりその店が自らの身の丈にあっているのか知らず知らずのうちに判断しているのかもしれません。

落ち着くと言うのはこちらも、そしてあちらも太平の心で接する事が出来るような空間であり、会話でしょう。

人それぞれその空間は異なります。私のような生まれではあまりに豪華で金襴緞子のインテリアやこれだけお金をかけた空間なんだと誇示されると、どうも委縮して逃げ出したくなります。

もうひとつ、ここはあなだだけの空間ですと言ったプライベートを重視するサービスのところも私は敬遠してしまいます。

ア**リゾーツや、ワン***オンリーリゾートなどです。もちろん新婚旅行ならいざ知らず毎年そこに行きたいとは思いません。

一昨年訪れた杭州のそれも部屋が広すぎて、それに会いたくないと思えばほとんど他のお客とは施設内で会わないと言うのも不自然でした。


日本にもこの手の旅館が増えてきました。今や北海道から沖縄まで全国津々浦々展開するホ**リゾートももとは軽井沢の小さな旅館経営に始まった訳ですが、その企画する狙いが見え過ぎて私にはパスです。



先月訪れた山代温泉のム***旅館も、通ずるものがあり、丁寧過ぎる接客とインテリア、それに相応しくない地元の経営者がアンバランスで今一つ落ち着くことは出来ませんでした。



以前NYを訪れた時に泊ったウォ***ア****というホテルは論外であり、人種偏見を持った最悪のホテルでした。

そんな名ばかりのひどいホテルの多い欧米でも、オリエントエキスプレスの系列でもあるポルトフィーノの丘の上に一軒だけあるスプレンディドというホテルは良かったです。部屋はそんなに大きくはありませんが、閉館間際の時期(真冬はお休み)ということもあり、逗留客は私達だけなのにレストランも我儘なオーダーに対応してくれたり、ドライバーを付けてくれて近くの漁村まで観光に出掛けたりとサービスもさりげなく心地よかったのを覚えています。ここにはもう一回訪れたいと思います。



こんな事を書きながら一番良く行くところは、ハレクラニとカパルアのリッツであるというのは、サービスそして全てが気持よいと思えるからなんでしょうね・・身の丈より少し(大分)上ぐらいの宿屋で気持が落ち着けるところがやはり好みの宿ということになりましょうか・・・

カパルアベイホテルが無くなってしまった事がつくづく悔やまれます・・・最高のロケーションだったのに・・・・・