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2012年1月31日火曜日

CBT Computer Based Testing

息子のベッドの脇やテーブルの上にCBT問題集が散らばっています(笑)

2月には国立、私立を問わずほとんどの医学部4年生で、進級テストでもあるこのCBTテストが行われるのだそうです。

CBTは今や色々な分野で行われています。つまり、一会場で同一に行う試験とは異なり、クラウド的試験ですが、コンピューターの普及と共に広まった方式です。

そんな問題集の一問

患者は59歳の大工です。数日前から腕が上45度以上上がりません。圧痛や放散痛はみられません。意識ははっきりしています。この症状から考えられる症名はいずれでしょう?

1. 椎間板ヘルニア 2. 頸椎菅損傷 3. 腱損傷 4.脳挫傷 5.老化による筋力低下
6. 心筋梗塞

お分かりですね、私はS大学病院で自転車事故の後、整形外科の医師にペンキ屋さんや大工さんではありませんねと確認されました(笑)よほど大工の熊さんに見えたのでしょう(笑)
私の場合は烏口靭帯と腱鎖骨靭帯の断裂でした・・・・答えは3ですね・・・・

RELEASE 手放すこと

プライベートプラクティスとして好き勝手な事をしている自分に必然的にリリースのときは訪れます。

どんなに仲良く見えても、どんなにその時真剣に接していてもその輪が私の和と交わらないときにはリリースしなければなりません。

若い時はこれが出来ずにもがいておりました。どうにかして繋ぎとめたいと自分の思考も行動も顧みずに嫌われたくない一心で・・・・

この歳になって思うのです。そうやって繋ぎとめる縁は所詮、縁なき縁であったと・・・いつかは離れて行くものなのです。

人間は一様には歳をとりません。環境、経済状態、家族環境、夫婦関係・・・色々な因子によって歳のとり方は千差万別です。

同じ古希でも、Sパパのような歳のとり方(精神性の若さ、見識の深さ)もあれば、大企業という名刺にしがみついた昨日の御仁のような方もいます。

私は結構神経質で(結構どころではない??)よく夢を見ます。しばらく前までその夢を記録していましたが、良く見る夢は数人から裏切られる夢です。プライベートプラクティスとして好き勝手しているのだから仕方がないと思われるでしょうが、案外小心なのです。

でも昨日は一切夢も見ませんでした。つまり、リリース出来たのです。

私は真の当事者ではありませんが、我が社のスタッフにもこの心持を伝授しましょう。自分のことのように真剣に対峙した時ほどこの心持の重要性がわかる筈です。

人間死ぬ時は全てをリリースして死んで行くのです。今大切と思っていることも一切あちらには連れて行けないのです。連れていけるのは自分の記憶だけです。その記憶さえも朦朧としておぼろげに消え失いながら混沌の世界に入って行くのです(エミール・ウングワレーの絵のように)

リリース出来たのです

私はこの句が好きです。十返舎一久です。

この世をば、どりゃおいとまに線香の煙と一緒に、ハイ(灰)、さいなら

犬を飼うということ

小さなころから捨て犬を拾って来ては飼っていました。当時の飼い方ですから玄関横に犬小屋を建てて鎖につないで飼っていました。散歩なんて適当でした。

最後に拾った犬はチコといい、クル病が分かって動物病院に連れて行きましたが、動物病院に行ったのはそれ一回きりでした。

私が上京し、母が病気にかかりチコは山里に貰われて行きました。

チコはさくらに似ています。四つ目で怖がりで、寂しがりやでした。

それから15年犬は飼いませんでした。15年経って我が家にやってきたのがジーニーです。

ジーニーは7年で虹の橋に旅立って行きました。いささか早すぎました。でも、彼女は一人でみんなの愛情を独占していました。日曜日の散歩は半日近く一緒に過ごしていました。

彼女の後にやってきたのがセプとさくらです。

ペットについては色々な意見があります。所さんはペットは家族じゃないと言い切ります。確かに息子や娘が死んで次の子供を育てたりしませんし、妻の代わりと言う訳でもないでしょう。

でも、でもですよ、人間だって所詮、生まれながらにして死に向かって歩み始めている訳ですよ、人間も犬も大差ないじゃないですか、私は純真な犬のほうがある種の人間よりよほど高貴だと思います。だって自分の損得のために人や仲間を裏切らないでしょう。

セプとさくらはそれぞれ11歳と9歳です。十分な高齢です。ジーニーの時のように家族全員が横一列という訳にもいかず、娘や息子も帰りが遅く、かまってあげられる時間も短いですが、生きている限り彼ら、彼女らとの接する時間を大切にしたいと思うのです。

ドクターFの気持よく分かります(笑)

もし彼らが死んだら、とても悲しむでしょう。でも、ずっと一緒に遊んであげられたという自負にも近い満足感が悲しみを癒すはずです。可愛い愛犬を飼っている人は自分以上にその子を愛せるとは思わないはずです。

よぼよぼになって自分の足腰が立たなくなっても犬を飼い続けるでしょう。私が一番愛せると思う内は・・・・