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2012年5月22日火曜日

庄司 薫

高校生の頃の愛読書と言えば庄司薫だった。仲のよい親友数人と彼の本を読んでその場面を共有していた。

田舎者の高校生は当時の東京での大学生の華やかな生活と政治や思想についての友人たちとのあけっぴろげの議論に憧れを抱いていたのかもしれない。

庄司薫は丸山眞男の最後の生徒だろう、彼は当時大学生で小説を書いていた。当時文Ⅱ(今の文Ⅲ)に入学するも成績優秀で文Ⅰに転部した。私は彼がかっこいいと思った。

デビュー当時、武田泰淳氏らには評価されるも、三島由紀夫には疑念を持たれる。しかし、最後には三島も認めた。

彼の作品がサリンジャーと似ているといわれることがある。あの独特の口語表現である。

私達にはそんなことはどうでもよかった、私達の近い目線で世の中を切り取っていた。

東大には行くことも志望校として書くことも憚られたが、憧れは強かった。同じ空気を吸いたかったからだ。

私達の頃には学生運動は下火になり、私立のいくつかの大学で辛うじてプラカードが残る有様だった。

丸山眞男に直接会っていた、Rパパから当時の雰囲気を聞く、羨ましい限りだ。

私達の頭上を学生運動という大きなエネルギーの通過した後の何にもないキャンパスで大学生活を送った。

後年、庄司薫が美人ピアニストと結婚した。やるな、と思った。

その後バブルで借金は膨れ、株や投資で大失敗をしたと聞く、普通なら破産していてもおかしくない。しかし、それも完済したと聞く・・・これもかっこいいではないか・・・・

いつまでも私達、昭和の青春のヒーローなのだ・・・



器用貧乏

「私は人に何でもしてあげるのだけど、いい事はないのよ、こういうの器用貧乏というのかしらん」

という人を見かける。それは間違い器用貧乏でも何でもありませんから。

私の仕事は江戸の頃よりサービス業です。そう家守の仕事というはサービス業なのです。

物を作る仕事でも、物を販売する仕事でもありません。

若い頃は、日本人と言うのはサービスの対価として何故お金を払いたがらないのかと前述の女性同様に憤っておりました。

それから数十年がたって今思うのは、自分がその時に行ったサービスというのはどこか打算的で、もちろん対価がその先に見え隠れするような薄っぺらいサービスだったのです。

我々は物を頼む以上、プロには対価を支払うのは当然のことです。しかしながら、今の私には無償の仕事こそが一番大切な仕事だと思っているのです。

先般も弊社のスタッフがある依頼に、その将来性が見込めないという理由で尻ごみをしていました。私はその縁が良い縁であるならば何故引き受けないのかと伝えました。

弊社にとってマイナスはないのですからプラスばかり追いかけても仕方ないことです。それより縁を大切に人から感謝される仕事をするべきなのです。

我々の業界は何かと言えばすぐ手数料を言いたがります。サービス業の対価というのは相手が満足してくれなければ頂戴出来ないのです。相手に満足してもらう仕事をどれだけしたかがその仕事ぶりということになります。

お金は後から付いてくるの例えはこのことです。

閑話休題

ここ数年お願いしていた植木屋さんを今年は辞めて、叔父に切ってもらいました。

実はここ数年の植木屋さんの仕事ぶりはまずく花芽は切るし、生垣の中は空かないので風通しが悪く、出来上がりの見栄えだけを意識したものだったので、いつかは変わるだろうと思っていましたが結局変わりませんでした。

こうみえても私は気の長い方で、相手が変わるのを待つこともあります。しかし、シグナルを送っても一向に変わらない場合には仕方ありません。契約を終了します。何故なら、自分たちと価値が共有できない人をいつまでもこちら側に留めておくことはその人達にとっても、私達にとっても無駄な事だからです。私はこうなると早いものです。

もし自分は要領がよいと思っているならご注意あれ。要領のよさなどこの世の中でこれっぽっちも価値はありませんから。器用なのは指先なら分かりますが、生き方が器用では信用がなりません・・・