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2012年6月6日水曜日

つながりすぎた世界


久々に読書の時間が出来たので買っておいたこの本を読む。

著者は長らくインテルに勤務していた人物だ。SNSを礼讃する書籍は多いが、SNSのリスクについて書かれたものは少ない。

彼の説では20世紀初めにも電報という情報ツールと鉄道網という物理的ツールの発展が過剰になり、最終的には機能不全に陥り、輸送手段が自動車という輸送手段に取って代わられた経緯を今の情報化城社会になぞらえる。

私はそのまま彼の意見に賛同するつもりはない。確かに似ているがその規模、スピードはまるきり違う。そのあたりは「マルチスピード化する世界の中で」(マイケル・スペンス著)を参考にされたし。

ただ彼の言う過剰結合は多くの局面に置いて見受けられる。

匿名性の2チャンネルには多くの犯罪予備情報が横行する。また、人種差別主義者がナチ同様の意見を繰り広げる。

匿名性でないFACEBOOKはその点である程度の自浄作用が働き、そこまでひどい書き込みは少ないものの、ユーザーは全ての情報を委ねていることに変わりはない。

アイルランドの金融危機も、アメリカの住宅バブルもそのつながり過ぎたことが原因ではないかと著者は述べている。

情報化が過度に進み、そこの渦中にいる人間が本当の意味でのリテラシーを持たなかったら、おそらく彼の言う「情報のドミノ倒し」に突き進むだろう。

ただ一点、彼はつながりを断つことが唯一の解決手段というけれど、私はそうは思わない。

鉄道網が自動車輸送に取って代わられたのは、確かに鉄道網自身の混乱が一助ではあろうが、本質的には鉄道から自動車と言う、産業のイノベーションが進んだことが原因だと思う。

昨日、都市銀行の支店長が政府や与党に政策決定力が無い事が、国策としての産業を衰退させていると言っていたが、その通りだと思うが、私には今のこの段になってもTTPを反対する人々がこれほど多い事や未だにこの国は輸出立国だと言い張る企業や国民の知性の欠如に失念する。

インフレーションが起こっているということはその国が発展している証左である。その間は輸出立国であっても何ら問題はない。問題なのはその後デフレに進み始めたときである。その時こそがこの国の構造転換の必要な時なのに過去の成功体験にしがみついてばかりいる。