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2012年6月8日金曜日

銃・病原菌・鉄  ジャレド・ダイアモンド



しばらく前に買って読んだ本である。上下巻なのでなかなか読みごたえがあるうえ、下巻がやや間延びしている感じもするので時間が掛った。この著者「ジャレド・ダイアモンド」は進化生物学者であり、現在はUCLAの教授を勤めている。この本は、その彼がニューギニアの友人による「何故、西欧はニューギニアを征服し、ニューギニアは西欧を制服出来なかったのか」という単純な問に対して答えている内容である。

結論から言って、西欧人の優位性でもなんでもなく、ただ地理的要因によると彼は言ってのけているのだ。西欧至上主義者達にとってはとんでもないという内容だろうが、中々面白い洞察を重ねて彼は理論構成している。

そんな著作の中で「社会は自分たちより優れた(と思われる)社会があるとき、孤立は贅沢は許されない」つまり「社会は自分たちより優れたものを持つ(と思う)社会からそれを獲得する」「もし獲得できなければその社会にとってかわられてしまうだろう」という説である。

江戸から明治にかけての開国の嵐をみれば、新しい社会にとってかわられないために必死にその社会になろうとしている姿だと分かる。さらに戦争に敗れた日本が急速にアメリカ文化を模倣し、現在に至る姿とも重なる。

ただここで私は疑問を感じる。よりよい社会とは何であろう、よりよいとはどのくらいのスパンで考えるよりよいものなのであうか・・・・私にはよりよいと思うこの結節がポイントなのではないか、つまり江戸時代の前期中期あたりまでは自らの太平がより良い社会であり、誰もが西欧が良いなどと思っていなかったのではないか、つまり江戸後期にそのターニングポイントが生まれ、よりよい社会像が変化したのだと思う。

しばらく前に農水省を退職した人から聞いた話だが、インドネシアでは政府一丸となって「緑の革盟」という農産物の生産性を飛躍的に向上させようとという運動を進めたことがあった。

観光で有名なパリ島を見ても豊かな水田地帯が広がり、温暖な気候から2期作どころか、3期作、4期作さえ出来そうであるから、そう考えるのも無理からぬ話しである。ところがこの政策を実施したとたん害虫による被害がこれまでの5%程度から50%まで極端に拡大したのだ。この地域は古くから耕作の時期をずらして栽培していた。つまり、地域的特徴を歴史的に経験した先人たちの知恵が極端な効率化がいかに危険であるか示していたのだ。結局、政府はこの運動を取りやめ、伝統的農業に方針を転換したと聞いた。

この例からも分かるように私達がよりよいと思うのは実はとても浅はかな見識が多く、長いスパンで観ればどうでも良いような事なのではと考えてしまう。

産業界に目を戻せば、トヨタ自動車の躍進はトヨタが掲げるカンバン方式による生産の効率性だといわれ、世界中の自動車産業にかかわる多くの人が高く評価していた。ところが、東日本大震災やタイの洪水など「想定を超えた」事態が起こるとその様は一変する。生産は落ち込み、効率どころの話ではない。部品さえ集まらないのだ。また現在多くの企業がより労働対価の安い海外に生産をシフトしている。サービス業でもコールセンターを沖縄においたり、インドのバンガロールに電話が掛り、インド訛りの英語で返ってきたという話も聞くがこれらとて今よりよいという考えでシフトしているが、いつパラダイムが書き変えられるか分からない。

社会とは言ってみれば「メダカの群れ」である。よりよいと思う一部のメダカが方向を変えると他も一斉に方向を変える。他のほとんどは、よりよいなんて思っていないのである。ただ、そうすることしかできないのだ。

私は思う。少なくとも我儘なメダカも存在してくれないと、人類の将来は危ないのではと考えてしまう。多様性こそ生物の生き残る道なのだから、それとも神はメダカの数を調整するためにそう仕向けているのだろうか・・・いずれにせよ、そのスピードはマルチスピード化している・・・・