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2012年7月7日土曜日

4つの親業

誰かが言っていました。人間は生まれてくる事は選べないけど、死ぬことは選べると。同じようなことがネイティブインディアンの格言にもあるらしいことを最近知った。

テレビのニュースに出てくる虐待死させた親の話や、パチンコに夢中になって車内に置き去りにした子供が死亡する事件の多くの親たちは生物学的に言っても親失格である。

生物は自らのDNAを後世に伝える役目を負っている。そのためなら、自らの命を顧みないほどこの生命の連鎖は高尚なものなのだ。

子供は父親、母親両方の遺伝子を受け継ぐ。どちらか一方ということはありえない。たとえ姿形が母親そっくりでも、父親の面影を見ることはできる。子供を見れば親が分かる喩えどおり。

私には一男一女の子供がいる。それぞれ自分の好きなようにやらせている。ただそのつもりでも親の影響を受けていないかといえば嘘になる。

私は子供たちに決めた事が二つある。それは私たちの持つ政治心情や宗教を子供に共有させないというものだ。この二つは小さな子供であればあるほどその後の人生に影響を与える。良い影響も悪い影響もあるであろうが、私は子供たちにこの2点においてはできる限りニュートラルであって欲しいと思っているからだ。

安藤忠雄氏の話を持ち出していかに子供を「リリース」することが大切なのか語ったこともあるのだから、一応は子離れのその大切さも知っている。でも、中々、多くの親がそうであるように「割り切れない」ものなのである。

子供を一人の人格として扱え、ごもっともなお話である。ただ、子供は子供である。私が100歳になって子供が50歳を過ぎても子供は子供なのである。

親業には4段階あるらしい。第一段階は子供におっぱいを飲ませている時期。そして第二段階は子供が成長しながら社会性を身につける時期。第三段階は子供が実社会に出て色々な経験をつむ時期。そして第四段階は子供が家を出て、新しい家族を作る時期だそうだ。

そう第四段階でも親業は親業なのだ。ただ、それ以前の親業とは違う親業であることは確かだが、親子の縁は切れない。そういうことなのだと思う。

みなさんちゃんと親業やっていますか???