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2012年7月13日金曜日

責任を取らない大人達

久々の内田先生の本、この手の話題になると俄然、筆致が良くなって一気に読者を引きずり込む先生の本です。

私は大学の3年生の後期に突然何を思ったか教職を目指し、普通なら少し暇になる文系の学部で1.2年生に交じって学科を受講したのでありますが、その私が教職を諦めたのが何を隠そう教育委員会という代物でした。

高い希望と志しを持っていた若者にとってその得体のしれない組織はまるで形の無い「怪物」そのもので、若者の出脚をくじくのには十分すぎるものてした。

時は変わって現代、この教育委員と言う代物は当時よりさらに大きくなっているような気がします。

自殺した自治体の教育委員の口から聞こえるのは「私達は悪くない、私達は知らなかった」という無責任な発言ばかりです。


先生のこの本にもそんな責任を取らない大人達が登場します。

私の周りでも何かにつけて書面だの契約書だのと言う先達がおります。

弊社の顧問弁護士に言わせればどんなに細かく文章で取り決めをしても、守る気持が無ければ無意味だし、言葉の多すぎる契約書ほど浅はかさを感じると言っていた事を教えてあげたい位です。

しかしながら、こうした形式に頼る大人の多くは私に言わせれば「失格者」なのです。

物事の本質から遠ざかりわざと見ないようにしている輩なのです。

経済的な失格者もいれば、家庭の失格者、教育の失格者色々です。どれも共通するのは己が失格者と理解していないことです。

以前にも現代は自己愛過剰社会だと指摘した事があります。

私の周りにも不妊治療に悩む夫婦も多く、こうした人には酷なのですが、一般的に子供を育てるということはこの自己愛にブレーキをかけざるえません。結果、自己愛以上に大切なものを理解します。

こうしたことで大人が大人になっていくのではないかとも感じられます。

自己責任を取らない大人達の多くは自己愛過剰者です。そうした人しか組織に残れないようであれば先生の指摘するようにこの国も沈みゆく国なのです。

今真に必要なのは多様性と柔軟性です。硬直した日本社会に誰か鉄槌を加えてほしいと願うばかりです・・・・

閑話休題

NHKの番組でオリンパスの飛ばし問題を指南したと言われる人達が映っていました。彼らは自分たちの行為が悪かったなどと思っていません。逆にやりすぎたから逮捕されたんだと反省するどころか、居直っています。

しかし、顔が宜しくない。金の亡者は顔に現れるというがそのとおり。誰しもその形相でした。

私もまだ山一証券が健在だった頃、後輩に株を勧められお付き合いした事があります。

結果、損失を出したのですが、株は儲かる時もあれば損をする時もあるのだから自己責任です。後輩を恨んだことなどありません。ただ、悲しいのはその後その後輩が二度と私の所にやってくる事の無かった事と、そうした行為を当たり前として営業していたその会社そのものです。

娘の勤めている会社は社員に生徒を集めさせます。生徒が集まらないとその先生の責任となり社員から嘱託社員にさせられるような会社です。娘もその事は分かっていても性分からか無理に生徒を集めようとはしません。私はそれで良いとも思っています。

こうした会社が長続きする道理がありません。顧客ロイヤルティの究極の質問とは何だかご存じですか?それはその企業や製品を自分の一番親しい人に勧められるかというものなのです。

そんな企業勧められるわけがありませんから・・・・