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2012年7月18日水曜日

言葉の洪水

久々にソシュールやロランバルトの本を読んだ。この頃自分の使う言葉について何となく違和感を感じていた。もっともその最たるは気象庁が新たに取り入れた気象用語であり、その言葉を連呼するテレビのアナウンサーであった。

言葉は時代と共に変化するし、その文化に内在される差異性を含有する。言いかえれば一つの文化が他の文化に吸収、併合されれば言葉はその意味を失う。

近頃は言語論というものは大学で学ばないであろろうか。言葉を軽視するこの傾向はもはや止める手立てもないものなのだろうか。

政治家の使う言葉も貧相である。言葉から自己弁護と自己欲求の顕れが垣間見得る。国民にエクスキュースする自信の無さが言葉から伺われる。

バルトは日本は「記号の国と言っていた。これほど多くの記号が氾濫する国は珍しいらしい、いや待てよ私達はそれ故言葉を大切にしなくなったのか・・・・記号化された文脈で人々はお互いを認識しているそういうことなのか・・・・

いずれこの国の言葉どうなってしまうんだろう、AKBなんとかSTBなんとかとか全て記号化されていくのだろうか、子供の名前もAZB1なんて呼ぶ日が来ないとも限らない・・・