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2012年8月22日水曜日

蜑戸のすすめ

昨日、新刊で発売されたばかりの三浦氏の本を読んだ。タイトルは「東京は郊外から消えて行く」というショッキングなものであるが、一昨年、光が丘団地を訪れた際に感じた高齢化と人工減少は私の住んでいる田園都市沿線とて他人ごとではないと思うことがあいまって納得していた。

住宅は多すぎるのであろうか・・・確かに今までのようなライフスタイルを続けようとするならば必要かもしれない。本にも書かれているが私達のライフスタイルが変化しているのだ。そうなれば今まで同様の住宅供給を続けても無理なのである。

私は100年住宅とか200年住宅という考え方に反対である。彼らはその方がエコロジーだという。果たしてそうだろうか。それはその住宅が天寿を全うした時の話であり、もし仮に主人が病死して後を継ぐ人が居なくなったらどうであろう、結局は掛けたコストは無駄にしている訳である。

日本には元来、危機管理意識から出来る限りお金を掛けずに、また災害があってもすぐ再建できるような家が存在していた。そう、海ギリギリにたつ海女小屋つまり蜑戸である。蜑戸はタンコと読む。

これは中々日本と言う災害の多い国に適した考え方だと思う。これには家なんて大したことない、人間の命が助かればまた建てれば良いさという天災に適応してきた日本人のやわらかさが伺える。

カトリーナ効果という言葉がある。カトリーナによる被害は甚大で多くの犠牲者を出した。しかし、一方ではこれを人災という考え方もあるのだ。本来、川の災禍流域であるデルタ地帯は土地が軟弱でさらに洪水や高潮の被害が予想され多くの人の住まない地域だった。それが被害を受けていない期間が相当数経過し、人々はそのリスクを忘れてしまっていた。日本だって埋立地の多くはそう言われて以前は敬遠されてきたのだ。

我々は忘却の人である。痛い思いをしても数日経てばすぐ忘れる。鶏と変わらない。だからまた痛い目に会うのである。だったら、ことさら気張らずに軽く考えて、住宅何ぞを建ててみたはどうだろう。災害が来たら、スタコラサツサと逃げるのだ。それが私の蜑戸のすすめである。

私が目黒通りに家具屋を入れたのはかれこれ20年前になる。当時の目黒通りはいくつかの外食チェーンと自動車販売のディラーがあった放射道路として商店街なるものは形成されていなかった。

家具店など集まる筈がないと言われたが、当時、前の会社で丁度渋谷に家具と雑貨のビルをオープンさせたこともあり、家具や雑貨の買いまわり性り高さを知っていたので、自動車がこの買いまわりを助けてくれるのではとヒントを得て勝算はあったのだ。

それから雨後のタケノコのように家具店が増えた。でも今はどうなのだう。駐車違反が煩くなり、かといって駐車場を備えた家具店は少なく、利便性に欠けている。これじゃ駄目だ。

賃料も上がり、広い売り場面積を必要とする家具店には逆風である。オーナーは今に胡坐をかいているといつかは足元をすくわれる。

世の中は移り変わる。変化は絶えず起こっている。常態を良しすれば苔むしる。高校の時に教わった。ローリングストーン(ころがる石)は苔むさない。

私の場合、鮎に食べてもらっても良いが、苔蒸さぬ老人と相成りたいものである。


ちなみに何故、魚へんに占うと書くか知っていますか。ちなみに中国では鮎と書いて「ナマズ」のことです。