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2012年10月5日金曜日

カメラのこと

息子に言わせると私はカメラが好きなふりをしているそうである。まあ、確かにずっとカメラマニアだった訳ではないし、つまるところ必然に駆られてカメラに興味を持った訳であるから言われても仕方あるまい。

そんな私がカメラを選ぶには二つの決めごとをしたのである。こう見えても私は自分の中に一応の境界線というものを設定して身の丈をわきまえるようにしているのだ。

例えば車、50歳までは絶対にドアが2枚の車には乗らないと決めた。2枚の車を買ったのは51歳だった。そして、もうひとつは妻も運転できる比較的(ここが大事)壊れない車であるということだ。

だから、イタリアやフランスの車は御法度ということになる。

自転車(ロードバイク)に限ってはこの境界線をあげている。金額による分け隔てはない。ただし、電動の変速機には興味が無い。だいいち、自転車が車やオートバイに近くなったら自転車に乗る意味がなくなってしまうからだ。

そこへいくとカメラの場合は少し複雑だ。私にとってカメラは街歩きや何気ない日常の風景を切り取る日記のような役割をするものと、もう一つは対象物を決めてから写す、ややコマーシャル的要素のものとがある。

日常を切り取るには操作性と携帯性が大切だ。レンズを付け替えたり、袋から出したりしている間にシャッターチャンスはなくなる。コンデジで十分である。

それにである。写真の上手い人と言うのはこの観察する目のセンスがいい。だから、私達が見逃してしまうような一瞬を見過ごさない。ならば凡人の私は尚更、見る目に集中するべきだと思うのだ。

撮り方にもこだわりがある。よく写真館の応募フォトにあるような風景画を撮るのは好きではない。

三脚を構えて、暮れゆく夕日と富士山のような作画が私の理想とするものではないのだ。

あえて言わせてもらえば木村伊兵衛やアンリブリッソン、そこまで行かなくても武田花さんのような(それでも目標が高すぎる??)のような写真を撮りたいというのが私の無謀な野望なのである。いつかは時間さえもとらえたようなそんな写真を撮る事が夢なのだ。

だから、こだわりがあるとすれば、カメラがその街の雰囲気を顕してくれるかということがある。以前フィルムのときに使っていたコンタックスはその点微妙な色合いを映し出していた。

パリやニューヨークのある暗さや重さを表現したかったからだ。

つい最近手に入れたライカのコンデジX2もこのあたりが気にいって買った。以前の光学式ファインダーに変えて登場した電子式ファインダーはほとんど実際の映像のように見える点も秀逸だ。

では物撮りではどうか。物撮りに限らず動物や動く対象物にはコンデジは弱い。運動会で走る子供を獲るにはどうしても望遠のついた一眼が欲しくなる。さらに接近してとるクローズアップ撮影もマクロレンズを付けて撮ると素晴らしい作画になる。

ここで私は境界線を設けたのだ。

いまのところオリンピックの報道陣のカメラを見ていてもニコンとキャノンが2大メーカーであることに変わりはないが、あとはそれぞれの作画が好きか嫌いかである。私は前述したようにあまり人工的に明るい写真は好きではない。その点でニコンを選んだ訳であるが、もうひとつの重要な点は、キャノンはニコンに比べて後発のためデジカメ以前のレンズはほとんどない。逆に言えばほとんど全てのレンズが使えるということになる。

そこへいくとニコンはデジカメ以前のレンズが膨大にある。そこで同社はデジカメ以降のレンズをDX規格として以前のFX規格のレンズ区分けしたのだ。これによってニコンは同じメーカーでありながら機種によって使えないレンズが存在する事になった。

このFX規格のレンズは素晴らしい、プロがこぞって絶賛するだけのことはある。ただし、この世界もライカのRレンズ同様高価で奥が深いのだ。

という経緯もあり、私のカメラ選びのポイントは①ほんどのレンズが使えるようなフルサイズは買わないこと。(ニコンで言えばD3やD4)そして②もう一つはライカのRレンズが付けられるものは買わない事だ。

カメラの場合、確かにレンズによりその映り方は大きく差が出る。しかし、そのレンズの世界にのめりこむとそこはまさに底なし沼である。

ライカのエルマリートやズミックスが使えるとなると当然そのレンズの性質上、防湿庫に保管しなければならない(すぐに埃やカケの原因になる)さらにFXの400mm以上望遠レンズはどれも驚くほど高価でかつ大きさも尋常でない。カメラを撮ることに集中する気が無ければ持ち出せない代物である。

ということでカメラの境界線が出来あがったのだ。でもこの境界線は国境とは違い、あっと言う間に領海侵犯され崩壊する危険性を孕んでいる事は事前にお伝えしよう・・・