このブログを検索

2012年10月11日木曜日

家族論

友人の一人は今の私をみて、小津安二郎の映画に登場する淡々と時を過ごす父親を掛け合わせ、また別の友人はエリザベステーラー主演の「花嫁の父」の正反対の状況だと冗談のように言うのだけれど(言っておきますが正反対の経済状況ではありませんから)どちらも正しく、どちらも間違いなのです。


尤も小津作品には色々な父親が登場するのでどの父親か分かりませんが、要するに嫁に出す父親の心境と言うのはあっちへ行ったり、こっちへ行ったり揺れ動く水面の木の葉のようなものなのです。

手放す悲しさや寂しさの半面、成長した娘を祝う気持ちや安心した自分もいて、なかなか一筋縄ではいかないものなのです。


そんな中、木の葉の私は、猿の研究の第一人者の山極先生のこの本を読んでいます。これによると人間の家族に対する感情は確かに特別なものであるけれども、猿にも同じような行動が見られるようなのです。

多くの哺乳類は子供が生まれると、その子を守ろうと親は必死に敵対するものに対して保護行動を取ります。人間とて同じです。赤ちゃんに対する何物にも代えがたい守ってやるという心境はまさにそれです。

そして、子供が大きくなるにつれ、食料の採取の方法や外敵から身を守る方法を体を持って教えます。人間でも家から徐々に大きな社会に出て行き、社会との親和性を身に付けるようになるのと同じです。

そして最後は自立です。動物の場合、この自立は親子の縁を切る訳です。たとえその後に会っても親子としての対面ではなくなるのがほとんどです。

そこへ行くと人間と言うものは何と未練たらしい事か、孫の面倒をみたり、その後も親子としての関係を継続します。私達より先輩の多くが孫の写真を財布に忍ばせて、時あるごとに人に見せるのは多くの方が目にしている一般現象でもあります。私はここで宣言します。友人との語らいの場で孫と病気の話はしないと。まあ、聞かれれば別ですけど、私の方からする事はありません。嘘だと思ったらペナルティをお付けします。第一、孫が可愛いというのは婚外した子供に自分との関係性を強制できないため孫にその分を投影し、ただ可愛いという誰もが反論しえない状況を仮定して、演じていると思うからです。

子供は一生子供です。どんなに歳をとっても変わりません。それこそが他の哺乳類との大きな差なのです。人間と言う動物は他の動物と違って抜群の記憶力と想像力が働きます。過去の子育ての歴史がどんなに辛い記憶でも美化し、記憶の中に留めて置く時には懐かしい哀愁のあるものに作り替えます。そして子供との関係性を心の中で保とうとするのです。だから子供が手元から離れても、小さい頃の記憶を呼び起こし、再現させるのではないでしょうか。

これだけ言っているのですから、決して財布の中には孫の写真を忍ばせて人目を気にせず見せびらかすような愚挙はしません。せいぜい、パソコンのデータファイルに娘と孫の写真を取りこんでおくだけでしょうが・・・・・