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2012年11月12日月曜日

とんかつ


とんかつ 

家で母親が作った薄くて小さいそれは決して豪華ではなかったが素朴で美味しかった。揚げたてのそれにきゃべつをいっぱいのせて、ソースを上から一杯かけて食した。当時のそれは子供心にご馳走とよぶにふさわしいものだった。子供の頃のとんかつはこのように自分の手の平より小さなものだった。 

東京に住み始めて山手線の外回りと内回りが理解できるようになったころ、目黒にある「とんき」に入った。目黒の駅前と権の助坂に2店舗あるが、微妙に揚げ方か違う気がする。後者は肉の火の入れ具合が絶妙で逆に言うと火入れが甘いというか、余熱で芯まで火を入れる類である。そこへいくと駅前のそれはカリッとしていて、火入れは十分である。まあ後は好みである。

断っておくが、私は断然ひれかつ派である。ロースこそとんかつの王道という方には申し訳ないが私はあの脂身が苦手なのである。そんな訳でここに出てくるとんかつはほとんど「ひれかつ」に翻訳して戴けると幸甚である。 

私はかつ本体もさることながら脇役のきゃべつを大切にしている。そういえば私が今まで好きだった俳優も女優も主役よりどちらかというバイプレイヤー=脇役であった。
きゃべつの切り方は適当にスライサーで切ったものが論外なのは当然として、キャベツにも部位があるのでそれを切り分けて欲しい。ある料理店が天皇家に出すものは芯の部分だけを使っていると言っていた。私はそれじゃ折角のきゃべつの味がしないのではと心配する。私の心配など無用とそのお店の人には切って捨てられてしまうであろうが、きゃべつ産地の県人としては譲れない。芯の部分は柔らかいが味がない、外側はややごわごわする。だから私は外側の葉を2.3枚とってから芯7対外3位の塩梅で細く切ったものがきだ。 

神宮前にある有名なとんかつやさんにお客様に連れていかれた記憶がある。その店のとんかつはキャッチフレーズは通り箸で切れる柔らかさである。しかし残念ながら肉の味がしない。この店のカツサンドは今や全国区になり私も好物であるが、とんかつとなると躊躇してしまうのだ。 

目黒に「天津」という私の大好きな店があった。つまり過去形なのである。今はもうない。この店は目黒と恵比寿の中間、三田にあった。断っておくが港区の三田ではない目黒区の三田。目黒のさんまに出てくる茶屋のあった場所が女房の実家である。

実家では事あるごとにここの出前を注文する。もちろん出前でも旨いのだが、店に出掛けて行って揚げたてを食べるのはまた格別である。ここの名物に「三食揚げ」という、とんかつ、海老フライ、ホタテフライの3つが一皿に盛られたものがあった。このホタテの旨い事、甘みがぎゅっと閉じ込められている。さらに豚肉はひれ肉を使っているのだが柔らかくカリッとして旨い。何でもここの店主は豚肉を良く揚げないと気持ちが悪いといい、火入れの甘いそれを敬遠していた珍しいご仁であった。

大学の近くに「三金」というとんかつ屋があった。反対側のビルの二階に移動してしまったが今もある。当時私はお金の無い大学生、ここのとんかつを食べたかったがいつも学食のかつ丼でお腹を満たしていた。 

話は逸れるが、私の住んでいた群馬県のK市は昭和の始め頃まで「日本の上海」と呼ばれた繊維業の盛んな町であった。市内にはそんな当時の面影を残す三角屋根の工場が数多く残っていたが私がその街を出る頃にはそのほとんどから機織りの音は聞こえなかった。

私の祖母もそうであったようにこの街を含めて北関東からは多くの満州開拓団を送り出していたようである。そんな満州からの引揚者が作ったと言われるものに餃子とソースかつ丼があるといわれている。餃子は宇都宮が有名だが、近年では浜松や福岡などB級グルメの代表として各地で町おこしの目玉になっている。 

そこへ行くとソースかつ丼はマイナーである。我こそはソースかつ丼の発祥地として福井市の「J軒」が雑誌にも取り上げられていたがまだ食した事はない。ただ、写真を見るとキャベツの上に切られたカツがのっている。さらに掛けられたソースの色が濃い。これは私が食べていたものとは違う。 

ここK市では「志多見屋」という老舗が有名である。今では市内に我こそが発祥の店と名を打った店を見かけるがそのほとんどが私のいた当時はうどん屋(市内にはうどん屋も多い)だったり普通の定食屋だったりする。「志多見屋」はその名前を聞くと時代遅れとなった暴走族のネーミングにも似ているが、数年前に訪ねた時に食べたそれは幼いころ食べていたものと同じだった。

熱々のご飯の上に小さなひれかつがのっている。もちろん丸のままのかつ。味はソースが強すぎない。 

そうか、かつは小さかったんだ。なるほどK市にいたころには大きなかつは見かけたことは無かった。母親が特別じゃなかったのか、今気付いたことだった。
 
 
 

ビジネスマインドの持ち方

今日、イトイサさんのブログ私がかねてより思っていた事が書いてありました。膝を打つの例えとはまさにこのことです。そこで私見を交えてもう少し付け足してみます。

皆さんは「最後から2番目の恋」という中井貴一さんと小泉今日子さん主演のドラマを観た事がありますか?

私なんぞは舞台が鎌倉ということもあり録画までして観ていましたが、そのドラマの中で小泉今日子さんが中井さんに向かってこんなセリフをしゃべります「私は地雷一杯持ってますから」「結構多いですよ」・・・・・

何故このセリフが気になったかと言えば普段の会話でこうしたやりとりがあると私は嫌悪するのに、あまり嫌な感じがしなかったからです。何故嫌悪するかは後で説明しますが、きっとこの会話が男女間の恋愛感情の中で成立した会話だからかもしれません。

では何故嫌悪するか、それは私達のビジネスにおいてもこの手の自己防衛を前提にした言葉を口にする輩が実に多いからです。

イトイさんに言わせれば相手に「寛容」求めている訳ですが、本当に多いから困りものです。

いつだったかとある民事訴訟において議論も山場を迎え戦略も構築し終えた時にクライアントが全ての議論を水の泡にさせてしまうような発言をしたのです。出席者の冷たい目線を感じたのかクライアントは「私は何も分からないので失礼しました」とすぐさま訂正しました。

これにはさすが出席していたスタッフは二の句も出なかったその時に、主任弁護をしていたとある先生が「何も知らないという詭弁は必要ありません。あなたの発言はすでに発せられてしまった。つまりあなたはこの場にいる全員があなたにとって最良と思える策を考えている時に私欲にかられてそのような発言をしてしまったと訂正するべきでしょう」

これにはクライアントも下を向いたまま顔を上げることは出来ませんでしたが、結果としてこの訴訟は大勝し、クライアントの希望金額を大幅に上回る金額を手にしたのでした。

こんな厳しい場面でなくても、初対面や数回しかあったことのない人に「私は裏も表もなく」とか「経済には疎いもので」「全くの味音痴なので」「お金には全く興味が無くて」・・・・

オイオイ、じゃ聞くけどお前さんはそう言わなければ人に裏と表のある態度をするのかい?それとも経済に疎いからその性で他の人に大損させても責任は取りませんというんかい、味音痴なのにどこに連れて行けというんだい、それとも俺が連れて行く店はどこも五十歩百歩とでもいうのかい?

これは極端だとしても私にはこういう言葉を発する輩とは仕事をしたくありません。要するに彼には大人の自己責任がないのです。まさにビジネスマインドの欠除であります。

ビジネスで一番大切なのは相手を理解する事です。どれくらい相手を共感できるかがビジネスの成否と言っても過言ではないと思うのです。でも共感するにはそれなりの努力と知識が必要なのは言うまでもありませんが。