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2012年12月2日日曜日

カレー 新宿「C&C」 渋谷「サクソン」 魚藍坂「サンライズ」 鎌倉「キャラウェイ」




カレー 新宿「C&C」 渋谷「サクソン」魚藍坂「サンライズ」鎌倉「キャラウェイ」


カレーほど日本の国民食と言えるものはないだろう。東西南北老若男女どこでも誰もが食べているカレー。これほど種類の多い食べ物はないのではなかろうか。インド式の香辛料の効かせたサラサラのカレーからデミグラのようにとろっとリッチな欧風カレーまで食べる人の好みに応じてカレーは存在する。そんな星の数ほどあるカレーの中でまず最初に紹介するのは私にとっての生命維持装置としてのカレーライスである。

私が上京して叔父の家の近くのアパートに引っ越してきたのは大学1年の夏だった。笹塚駅から徒歩8分のそのアパートは日の出アパートと言った。建物は和洋折衷の大正から昭和の初期に建てられたもので、共同炊事場、共同便所で部屋は3畳だった。部屋は2階にあるのだが丁度その位置に水道道路が建物に並行してはしっており大型車両が走ったときなど地震と間違うほど揺れたものだった。当時はこの手の古い建物が城西城南地区にもまだ存在していた。屋根は鉄板ではなく瓦である。コバルトブルーの洋風瓦は幾分欠けていて、屋根の上には風見鶏の残骸が残っていた。部屋のドアには菱形のガラスが嵌めこまれアラベスクのような模様が描かれていた。この部屋の思い出はもうひとつある。私が実家(まだ実家が桐生にあった頃)に帰る日に私の部屋がテレビドラマの撮影に使われたのだ。

私はどんなドラマなのかもしらずに帰省の列車の中でそのシーンをこの眼で見ることは出来なかったが、後になってテレビて放映された際にそのシーンでは私の好きな俳優、松田勇作が私の部屋の窓の縦樋を伝って階下へ逃げるシーンであったのだ。居合わせられなかった事が今更ながら後悔する。

私はその部屋から眠い目をこすりながら四谷まで通っていた。大抵は朝ごはんも食べずに大学に向かう。空腹の若者は自らの細胞に鋭気を与えるべく朝食と昼食を兼用して途中で取るのが日課だった。

その店は京王線の新宿駅と山手線に乗り換えるコンコースの途中にあった。私が頼むのはここのコロッケカレーである。今でこそ朝カレーなる言葉があるが30年以上前に私は朝カレーだったのだ。ステンレスの皿に盛られたカレーには野菜などほとんど見当たらない。コロッケがそう温められるでもなく真ん中にどんと置かれている。それとカレーを旨く丁合いを取りながら食べ進めて行く。もちろんてんこ盛りにした福神漬けと一緒に。これが日課だった。

家が裕福な高校の友人がいた。アメリカに留学したので私より1年遅く大学に進学した。家は大学近くのマンションだった。彼の大学までほど近い魚藍坂に位置したそのマンションは彼の家が所有しているものだった。「サンライズ」というカレー専門店に連れていかれた。そこでは水を出さない。カレーはさらっとしているが香辛料が効いている。具はなにもない。しかしくせになる味だった。今もサンライズは昔のままようだ。

渋谷でサラリーマンをしているときによく西武百貨店のサクソンに出掛けた。新宿のカレーから思えば大出世である。中辛のビーフカレーが好みだった。20代の食用旺盛な頃、ご飯は小さなステンレスの容器一杯で足るはずはなかった。今某航空会社の役職をしている1年後輩の彼とその容器を五杯もおかわりしたのは遠い記憶である。このサクソン一度は撤退した。しかしながら顧客の強い要望で戻ってきたようだ。

鎌倉にキャラウェイとい店がある。湘南では珊瑚礁という店が有名だが、私はどちらかというとキャラウェイが好みである。ここのカレーはとにかく量が多い。女性や子供では食べきれないこともある。ただし、いつも行列なのが瑕僅である。そこで常連は店では食べずにお土産用を購入するのである。これならば待たない。待つのが嫌いな江戸っ子でも食することができるのだ。


Audi S6 avant


Audi S6 avant

上着は脱いだものの汗でシャツが体に張り付き体は悲鳴を上げている。腕まくりをしながら時計に目をやるが汗は袖口からしたたり落ちる。

時計の針は午後3時を指していた。目の前には排気ガスで黄色くぼやけた首都高と藻で汚い緑色に変色した皇居の堀が囲むようにフロントウィンドウにはりついていた。

車は高速に入るや否や北の丸トンネルを抜けたあたりでエンジンが停止した。何度、キイを捻ってもアウディはピクリとも動かなかった。そうこうしているうちに黒色のアウディは真夏の太陽の熱を帯び、室内は息も出来ないくらいになった。

幸い路側帯に止まったので後続車の邪魔にはならない。戸外に出たが今度は直接太陽が攻撃してくる。鞄の中で携帯電話を探すが見つからない。運の悪い時は続くもので、携帯も家に忘れたらしい。やっとのことで電話を見つけレッカー車を手配した。こういう災難は重なる。

考えてみるとこの災渦の予兆はあったのか。今朝シャツを着ようとした時に外れたボタン、道路に轢かれた猫の死骸、電線にとまった三羽のカラス、朝方の悪夢・・・人はこうした事象を強引に結びつけるのか、それとも本当の予兆だったのか。

いや、物事には因果律がある。自分の意識の中で好き嫌いを決めつければ、自ずと好き嫌いは思った通りの関係になる。人間の行為の代替えとして使う機械も人間と同じように意識を持つのか。映画の中で人工知能はそう言っていたのを思い出した。

通り過ぎる人々の顔は見えない。歪んで白く濁って見える。ボンネットを開けて停車しているアウディを見てざまあみろと思う人と可哀想だねと思う人は半々ではあるまい。世の中そんなに旨くはいかないから。

壊れて動かなくなった車はただの鉄クズだ。とんなに高価な車であろうが動かなければゴミ同然なのだ。

この車は並行輸入業者から購入した。もっともな言い訳はこの車が正規輸入されていないことであったが、それ以上に並行輸入業者から購入することのリスクも十分承知していが、今の自分にはこれくらいリスクのあるものが身の丈にあっていると心の中で思っていたのかもしれない。そして40歳の峠を迎え、当たり前という常識に最後の抵抗の様にエンジンのロムと呼ばれるコンピューター制御の装置、ブレーキ、ホイール、タイヤまでも変更した。変更したそれは原型をとどめないようで大人には似つかわしくない車だった。大人とは何だろう。常識や経験で無駄のない人間のことなのだろうか。それとも世間と調和の図れる穏やかな人間の事をいうのであろうか。大人になることは角を丸めて飄々と暮らすことなのか。分からない。分からないがそうなりたくないと思った。だから因果律。

数週間後、修理から戻ってきたアウディの宿婀を払いのけるように売却した。もう一つの宿婀と共に。