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2012年12月5日水曜日

AM6:15


AM6:15

美佐子は店内の時計を気にしていた。店内の時計は5分遅れていたがすでに外は明るくなり湿った夏の朝を迎えていた。美佐子は昨晩から続く深夜勤務の途中だ。

美佐子の働いている店は24時間営業のファミリーレストランである。渋谷の繁華街から少し離れた場所にあり、まわりには都内でも有数の高級住宅街を擁していた。

美佐子は週に2.3日このような時間帯で働いている。もっとも、美佐子にはこの時間帯を自ら選ぶ必要があった。美佐子はシングルマザーである。3年前に夫のDVが原因で離婚をした。一人息子はまだ幼かったが、裁判所は親権を父親には認めなかった。

美佐子は両親の家のすぐ近くでこの一人息子を育てている。美佐子にとって普通の両親のいる家庭のように出来る限り子供と一緒にいる時間を作りたかった。結局、今日の様な勤務を選ぶことがその最良の様な気がして進んで引き受けたのだ。

この時間の客は2通りだ。遊び疲れて塒に帰る終着駅に向かう客、そしてこれから働こうと鋭気を養うために始発駅に降り立つ客である。大抵の客がその表情からどちらなのか誰の目にも分かるのだが、どちらもエネルギーの種火を付けている程度で控えめな点が共通している。

通りに青黒く光ったBMWが止まった。中から二人の男性が降りてきて、美佐子の店のドアを開けた。男性はグレーの頭髪を短く切り揃え、ブルーのピンストライプのシャツを着ていた。もう一方の男性はまだ若く、良く見てみるとまだ子供だ。体躯は大きくがっしりしているがもう一人の男性宜しく短く切りそろえた頭髪はまだあどけなさを残している。東海岸のアイビーリーグの大学名の入ったグレーのTシャツと大きなデイパックを持っていた。

美佐子は禁煙か喫煙か聞きながら、禁煙席にこの二人を案内した。もっとも、二人は美佐子に案内されるまでもなく、いつものお決まりの席に向かっていた。その席は他の席から見えにくく、逆に他の席が見渡せる場所だった。

美佐子がこの二人を見かけるようになってすでに3か月が経過しようとしていた。美佐子はこの二人に次第に興味を持つようになった。父親らしき男性が注文するものはベーコンエッグ朝食に納豆である。時折、焼き鮭定食に納豆という日もあるが9割方同じものを注文する。息子の方は洋食の日もあれば父親と同じものを頼む日もある。

父親は席につくや大きな鞄からスケジュール帳を取り出してその日の予定を確認している。確認が終わると新聞を取り出し読み始める。読み終えた部分から息子渡し、息子はそれを読む。料理が運ばれる頃にはその新聞は二人に読みおえられていた。

男性はひとつの決まりがあった。ベーコンエッグには必ずソースを掛ける。テーブルには醤油は普通準備するのだが、ソースは置いていない。美佐子はこの二人が来ると何も言われなくてもA1ソースと醤油をテーブルに運んだ。男性はベーコンエッグにはソースを、キャベツには醤油を掛けてその料理を食した。最初のうちは飲み物の追加オーダーを聞いていたが、二人は頼まなかった。美佐子もこの頃はもう聞かないことにしていた。

美佐子は二人の話している会話を聞くでもなくただ耳に入ってきた言葉を繋ぎ合せ、息子が中学生らしいこと、そしてこの近くの中学に父親に送ってもらっていること、父親の会社もこの近くで早朝よりオフィスで働いていることを知った。

二人は席を立ちレジに向かった。美佐子は男性からレシートを受け取りレジに金額を打ち込んだ。男性は大きな鞄から黒い高級そうな長い財布を取り出しその中から千円札を引き抜き、違うポケットから黒いコインケースを取り出し百円玉を千円札の上に乗せて、美佐子に手渡した。美佐子は黒くくすんだ硬貨を横に外して出来るだけ綺麗な10円玉二枚をレシートと共に男性に手渡した。

1981年のゴーストライダー Ⅻ





洋一は変なものを集める趣味があった。子供のころはどこかに出掛けると必ずバッチを買った。何処かに行った記憶としてバッチを買うのではなく、とにかく沢山の色んな種類のバッチが欲しかったのだ。
 洋一は大きなブリキ缶の中にそれを入れていた。時折そのブリキ缶からバッチを取り出し並べてみる。形の違いによって並べたり、関東なのか関西なのかまたはどこの県なのかによって並べてみる。どうでもいいような基準をその時の気分によって自分で設けて並べてみるのだ。
 その中にどの基準にも当てはまらないものがあった。洋一が母親と行った新潟県の岩原というスキー場で居合わせたテーブルの前の男性が付けていたバッチだ。洋一はカーキ色のリブ編みのスゥエーターの胸に付けられた綺麗なバッチが日本の物でない事を知っていた。バッチは雪をかぶった白い大きな三角の山とスイスの赤い国旗が描かれていた。洋一の目がそのバッチに釘づけになっていたのは誰もが分かった。男性は気に入っているのならとバッチを洋一に苦笑いしながら手渡した。それ以来そのバッチは洋一のブリキ缶に入っている。

 洋一はそれ以外にも切手を集めていた。かなりの切手を集めたが、もっとも希少切手のコレクターというわけではなく、郵便局で売り出される記念切手を買うのだ。人気のある記念切手は売り切れになることもあるから気を抜けない。洋一が集めていたものの中で一番のお気に入りは日本の国宝と国立公園のシリーズだった。洋一は切手に描かれていた仏像は、まだ行ったことも無い京都のお寺にある弥勒菩薩でそれが国宝である事、そしてその表情をアルカイックスマイルということを知っていた。

 洋一は大人になってバッチの事も切手の事も忘れていた。もっとも切手は親戚の子供にせがまれて貸したつもりだったが今はどこにも存在しない。バッチはかろうじてブリキ缶の中に眠っているが、もう何年もその蓋は閉じられたままだった。

 洋一の手の中に一枚のコースターが握られていた。洋一は丸い形のコースターの端を指で弾きコマのように回した。コースターは力なく何回か回りながら印字のある面を上にしてテーブルに倒れた。コースターには浅草の日本一古いバーの名前が書かれていた。数ヶ月前に優子と出掛けた時にもらってきたものだ。名物のカクテル頼んだが甘くて飲めなかった。テーブルの上には十数枚のコースターが重ねられている。全てが国内のホテルやバーの物だ。洋一はいつかレイモンドチャンドラーの小説「長いお別れ」に出てくるギムレットをアメリカのバーで飲んでみたいと思っていた。もちろんコースターは持ち帰るつもりで。