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2012年12月15日土曜日

PM1:00 Sunday


PM 1:00 Sunday

 男性の名前は山極浩一郎と言った。年齢は41歳だった。彼は一級建築事務所を個人で経営していた。設計士と言っても建物の構造計算をするのが主な仕事でクライアントの多くは他の設計士やゼネコンだった。

 近年では耐震偽装問題が大きな社会問題となり、浩一郎の仕事も新規の建物建築の構造計算に加えて、既存建物の再計算の仕事も増え、朝早くから夜遅くまで事務所にこもる事が多くなっていた。休みもここ一カ月ほとんどとっていなかった。

 浩一郎には16歳になる一人息子がいた。息子は都内の国立大学の付属高校に通っていた。いつもは電車で横浜の自宅から30分掛けて通学していたが、吹奏楽部の部長をしているため早朝の部活動や練習部屋の確保の時などは父親と一緒の車で来ることもあり、一緒に近くのファミレスで朝食を取ることも多かった。美佐子の店に現れたのはそんな早朝の一コマだった。

 浩一郎は7年前に妻を病気で亡くしていた。妻はすい臓がんだった。癌が見つかった時には既に手遅れであった。妻はその10カ月後息を引き取った。

 浩一郎は妻の死後、自宅を仕事場にして息子を育てながら生活していたが、子供が大きくなり高校に進んだのを契機に仕事場を自宅とは別に設けた。自宅での仕事は時間と場所の制約がないために、生活にメリハリが付かない。仕事にも悪影響である上に浩一郎の気持ちが萎えてしまう。それで仕事場を南平台近くの小さな建物の一室に移したのだ。

 浩一郎は窓際のテーブルに席を取っていた。テーブルの上にはつい最近イエール大学が出版したモダンアートの作家「CARO」の本が置かれていた。

浩一郎は視線を窓の外に向けていた。道路の向こう側に子供の手を引いた美佐子の姿が見えた。

紺色のオーバーコートを着た美佐子は笑って手を振っていた。浩一郎は老眼鏡をはずし、その眼鏡をこげ茶のハリスツイードのジャケットにしまい、小さく手をふった。駅から真っ直ぐに伸びる街路樹の桜の木々がうっすらと色づき始めた初春の麗らかな日曜の午後だった。