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2013年4月30日火曜日

ポキのお話


ポキのお話

ハワイに通い始めて15年になる。マウイに安くステイできる小さな蜑戸を買ってからはもっぱらマウイに滞在することが多くなったが、日程の調整もありオアフにも足を延ばすこともある。
ハワイに通い始めた頃、よくKマートのポキを買った。ここのポキはあっさりしていて美味しいし何より手軽なのが良い。チョッと小腹が空いた時などこの総菜とビールがあれば何もいらない。
ポキはご存知のようにハワイのローカルフード、生の魚を食べる習慣の無い西洋人にもここでは浸透している食べ物だ。味は千差万別、玉石混交、醤油を使わないものもあるし、ごま油も使わないものもある。
ワイキキに泊っていてもノースショアに足を延ばすことが多い。理由は海老を食べるため。
私がよく行くのはワイメアタウンの手前にある大きな海老の夜台、ここでシンプルなシュリンプを頼む。
あるとき隣り合わせた腰にタトゥーを入れたローカルの10代の女の子がポキの話をしていた。どこのポキが美味しいかという話題だった。その子たちによるとカフクにあるスーパーレットというローカルなスーパーマケットで売っているポキが一番だと言っていた。
興味を持った私は早速その店に行った。その店はまず日本人は見かけない、ローカル以外は知らないハワイの風景にすっぽりとけ込んだ店だった。奥から出て来た女性は商売っけのまったくない素振りで私を無視していた。それでも勇気を持ってカウンターでポキを頼んだ。女の子が言っていたように、ライスの上にポキを乗せてもらった。醤油のしっかり滲みたそのポキと白いご飯の相性は日本人なら嫌いな人はいないと思う。まさにハワイ版づけ丼である。ノースショアに行ったら勇気を持ってこの店を探すことをお薦めする。世界一のポキだから。



人間観察


人間観察

街歩きの項でも書いたが私は人間観察が好きなのである。喫茶店や飲食店でまじまじと他人に見られたら相手も嫌な気分になるだろうし、下手すると変態扱いされかねない。だから、私はオープンカフェや車上から道行く人を観察するのである。

もっともこれは学生時代のアルバイトに端を発する。就職が内定してからその会社のアルバイトをした。その会社はアクロスという情報誌を発行しており毎号街角の道行く人のスナップ写真を撮り、アンケートを実施して持ち物なり、洋服なりの調査を行っていた。そこで暫くアルバイトをしたのだ。

渋谷の公園通りの交差点で、カウンターと筆記具を持って通行人を観察していた。(写真は別の社員が撮っていた)暫くして慣れてくるとあの人はどんな人でどちらの出身なのだろうとか、学生だろうかすでに就職しているのだろうか、どんな職業なのだろうかとひとりでに疑問がわいてくるようになった。さらに経験を積むとあの人は東京の出身ではないとか、学生、学生ではない程度の区別はかなりの確率で当てられるようになっていた。

もし裸の人間を観ているのだったらそんな判断は出来ない。多少なりとも身につけているものがそのヒントを指し示すことが多い。

私鉄沿線を観察した事があった。驚く事にそれぞれの沿線にはそれぞれのカラーがある。例えば田園都市線と東武東上線ではなんとなくカラーが違うのだ。JRに至っては環状線のように放射線だけではないのでこの判断は難しのだが、私鉄は比較的放射系のため分かりやすい。ところが一番分からなかったのが京浜急行である。西武線に似ているようでもあり、違うようでもある。東横線に似ているようでもあり違うようでもある。ただひとつ比較的荷物を持った人が多いような気がした。それは同線の軌条が他より広めだったと言うことに相関はあるまいか。

夢想はさておき、先日面白い事があった。これから社を興し、経営者となろうとするその若者が自分の事業の将来性、政治家との繋がりなどを雄弁に語っている時、ふとその彼の足もとに眼がいった。びしっとしたダークスーツとは似合わない明るい色のブランド物のスリップオンを履いていた。巷のファッション誌でよくコーディネイトされているその靴であるが、どう見てもその場には相応しくない。そんな違和感を抱いていたら数カ月でその会社は倒産した。

こんな事を言っている私であるが、もっと始末に負えない。人と会わないときはスニーカーにブルゾンで出社している。それも相当草臥れているもので。傍から見たらどんな職業か分かるまい。お店に行くと頭から足先まで隈なく観察される事もままある。私としてはそうした事を楽しんでいる向きもあるのだが。
そこへいくと言葉は重要だ。例え身なりで分からなくても相手の話を聞けば、その人がどんな思想を持っているのか、どんな教育を受けて来たのか大体は分かるからだ。
私が無口なのはそういう理由があるからである。沈思黙考、敢えて語らず。


2013年4月26日金曜日

片原饅頭


片原饅頭

上州人で30才以上の方ならこの名前を知らない人はいないだろう。
日本全国を探せば酒饅頭の類は数多あると思う。中の条から草津に向かう途中に岩井洞と言うドライブインがある。近所で捕獲されたツキノワグマが檻の中に入っているのを観た事もあるのではなかろうか。あのドライブインでも酒饅頭は売っていた。だが、これとは別物。皮が厚く、少しぶよぶよしている。
子供の頃の記憶だが片原饅頭の店は前橋のアーケードの中にあったと思う。恐らく私は8.9歳で母に連れられて前橋までやってきた時だと思う。当時我が家は車が無かった。
桐生から前橋まで行くには2通りある。ひとつは両毛線を使う。これはJR(国鉄)なので多くの人が使っていた。
もう一つは西桐生の駅から赤城山麓をなめるように進む上毛電鉄の電車に乗る。
あの時はこの上毛電鉄に乗っていったような気がする。
窓からは赤城山の山並みと反対側にはなだらかな丘陵が関東平野に延びる景色は日本の原風景のようでもある。今でもその長閑さは変わらないだろう。
桐生には百貨店が無かった。生活雑貨と衣料品はスーパーの長崎屋がある程度で前橋まで行かなければならなかった。といっても当時の前橋にあったのはスズランデパートぐらいで、後に西武百貨店が生まれたがいつしか消滅していた。
片原饅頭はもちろん出来たても旨いのだが、翌日、少し硬くなったものをストーブの上に置いてこんがりきつね色になったのを食べるのが通だった。お酒の飲めない小学生の私は焼き片原饅頭と緑茶で空腹を満たしたことを思い出す。

この店は当時積極的に障害者を雇用していた。彼らが一生懸命作る姿を子供心に見ていたのである。ターボーと仲良くなれたのもこんな素地があったからかもしれない。
この片原饅頭が廃業したと言うニュースを聞いた。子供のころから当たり前にあるものが姿を消すのはやはり寂しいものだ。そんなこんなで数年が過ぎた頃、今度はこの片原饅頭復活のニュースである。
プロの競輪選手で全国的にも名前の通った福島選手が復興するとあった。場所も前橋である。早速、ネットで調べてみたが通販はしていない。現地に出向くしか方法はなさそうだった。
前橋に立ち寄る用事は無くやきもきしていたら、昨日、饅頭がピンポンと呼び鈴を鳴らして入ってきた。妻の友人が娘の出産の陣中見舞いにこの片原饅頭を持ってきてくれたのである。手を出して食べようとした妻に「一日待てぇ」と言ったのは間違いなく私だった。





2013年4月25日木曜日

街歩きの楽しみ


街歩きの楽しみ

私は観光と言うものに興味が無い。教科書に出ているような名所旧跡を巡る旅と言うのは忌々しい修学旅行を除いてした事が無い。元来我儘な性格からか、サーファーの偏屈さとローカリズムの間違った影響からか分からぬが大勢で一緒に行動するというのは嫌いなのだ。

しかしながら街歩きは好きだ。いろいろな街に行き自由気ままに歩きながらその街や人を観察する。手には小さなコンタックスを持ってニューヨーク、パリ、ミラノいろいろと見て来た。東京だって楽しい。

私の東京の入り口が浅草だったことは以前にも書いた。それがいつしか東京の西に住み始めそこに定住し、今や最もサーフェイスな所に暮らしている。おかしな感じがする。

今、巷では「谷根千」が人気らしい。「谷根千」とは谷中、根津、千駄木のことである。

古くからの街並みが残る場所である。日暮里から谷中銀座に向かって歩くと、夕焼けだんだんという坂がある。東京の他の富士見坂同様に晴れた日には富士山が遠望できる場所だ。
 
この坂を命名したのは作家の森まゆみさんだと知った。東京の下町と文学について多くの短編や随筆を残しているが、現在、自己免疫疾患と闘病中とのこと一刻も早い回復を祈るばかりである。因みに彼女の母親は政治学の巨匠、藤原保信氏の門下だったというから偶然である。

この辺りには多くの坂がある。まさご坂、壱岐坂、菊坂、多くの坂が物語に登場してくる。漱石や一葉もこのあたりで暮らしていたのだからもっともである。

妻の実家は目黒の茶屋坂のすぐ横にあった(今もある)

家の横にはサッポロビールの工場まで水を引くためのレンガ造りの産業遺構もあったが道の拡張で壊されてしまった。坂と言うものはなんとかく街を楽しくしてくれる。

坂の無いのっぺいな街は確かに歩きやすく、便利なのだが面白みに欠ける。

そういえば明治の話しではあるが、映画にもなった板谷波残も日暮里外れに窯を持っていた。それを今思い出した。

今週末もし天気が良かったならば街歩きをしてみたいところがある。鶴見線の国道とう無人駅周辺だ。
 
一度、車で通りかかったことがあるが、多くの小さな鮮魚店が可笑しいほど短い間に建ち並んでいた。おそらく旧街道の名残であろう。コンタックスの代わりにすっかり手になじんだX2をぶらさげて散歩しよう・・・
 
 

2013年4月24日水曜日

シマアジ 縞鰺 島鰺


シマアジ
シマアジは縞鰺とも島鰺とも書く。残念ながらこの魚の美味しさを知ったのはつい数年前である。それまで寿司屋で握られてくるこの魚の味は脂がのっているのか、淡泊なのかよく分からなかった。ただ、時折この魚特有の匂いが鼻についた事を覚えている。新鮮なはずなのにその記憶がトラウマとなって自分から進んで注文した事はなかった。
モルディブでシャークショーを観た。プロのダイバーが手から鮫に魚を与えていた。私達は岩にしがみ付いてその演目を観ていた。数年後、事故があってそのショーは中止されたようである。鮫は人間には慣れないということとか。そんな水中でよく目にしたのがもこのシマアジに似ているナンヨウカイワリという魚だ。もっとも日本近海のシマアジより大型である。モルディブの現地の人にこの魚は美味しいのかと聞くと、彼らは食べないという。後で調べたら同じ魚でも住む場所(熱帯地方)では食物連鎖の関係からか毒を持つらしい。
藻の一種類にシテガラ毒を持つものがあって、その藻が生育する海域の魚は毒を持つようになるらしい。
社会人になってまだ間もない頃、伊豆を旅行した。南伊豆のどこかの漁港だったと思うが、地元の漁船から降りて来た、真っ黒に日焼けして一目で漁師と分かるその男が岸で舫い綱を繋いでいるもう一人の男に向かって「オオカミがあがった」と言った。
オオカミが海に居るはずないし、もしやオオカミの死骸がとも思ったが、すでに日本オオカミはとっくに全滅していたのでそんなはずはないと気を取り直し、その男にオオカミとはなんぞやと聞いてみた。するとその男曰く、このあたりや伊豆諸島では特別に大きいシマアジの事を「オオカミ」と呼ぶと言うのだ。謂われは分からないとの事だった。
鎌倉での楽しみの一つは美味しい魚が食べられることである。逗子駅前の鮮魚店に姉妹店を持つ小坪の「魚佐次」は私が20年通っている贔屓の店だ。お刺身全般美味しいのだが、アジフライや鯖の文化干しも旨い。この頃は食が細くなってきたのでご飯を少なくしてもらい、その分魚を食べることにしている。
もうひとつ小坪漁港に谷鶴水産という鮮魚店がある。以前は土日しか営業をしていなかったが、数年前から平日も営業している。平日はもっぱらプロ御用達と化すが、魚の種類と新鮮さは抜群である。
そんな店で今頃の季節からシマアジが並ぶようになる。夏にかけて美味しくなる。
天然のシマアジがあれば良いのだが、ほとんどが養殖だ。私は何が何でも天然礼賛とい訳ではないので美味しければ構わない。もっとも前述したように季節や餌によって大きく食味が変わるので、外れを食べた場合には天然ものでも寿司屋の二の舞になってしまう。
江戸時代からこの魚は旨い、不味い、下品と評価が真っ二つに分かれていたと言う。
なるほど私の舌はまんざらでもなかったのかとほっとする。
ここで半身を買えばアラも付いてくる。身は刺身用のサクにしにしてもらい、アラはアラ汁にすると旨い。
今日も所用で午後から鎌倉に出掛ける。時間を見つけて谷鶴を覗いてこよう。もちろんシマアジがあれば購入する。もちろん車にはたえずクーラーボックスは持参しているから。




2013年4月23日火曜日

鰻礼賛


鰻礼賛

以前も書いたように私は鰻が好物である。出所は書いたのでここでは省くが、とにかく美味しい鰻を食べる事に掛けて努力は惜しまない。

ところが、近年うなぎ稚魚が不漁である。それも相当な不漁らしい。当然、仕入れ値は高騰し、鰻屋さんは悲鳴をあげているはずだ。私の知る限り店を閉めてしまった所も多い。先般私に横浜スタジアムで催事を行うと案内してくれた八十八さんも店舗の開店をさぞ思慮されている事だろう。

私は思った。伝統のある鰻屋さんを無くしてはいけない。ならばどうするか、鰻屋さんに行って鰻以外のものを注文するのだ。私ひとりぐらいこんな事をして何になると御叱りを受けるかもしれないが、要は私の心持の問題なのだ。もちろん永久にという訳にはいかないのでとにかく1年間は自分の足と懐で暖簾をくぐった場合には、その掟に従うつもりだ。

とりあえず4月までその掟に従っている。昨日も鎌倉のつるやさんに行った。鰻なら50分お待ちいただく事になりますと言われ、普段ならもちろん待ちますと言うところ、別のメニューを探した。注文したのは舞子丼、つまり柳川鍋の牛蒡を無くしたものがご飯に載っているものである。泥鰌は泥臭くなく、玉子もふわっととしていて優しい味だった。

食べ終わり丼の蓋を閉めていると、隣の席に鰻重が運ばれてきた。その香ばしい匂いが届かぬうちに私は退散を決めたのである。それでも暖簾の外までその魅力的に匂いは追ってきたのである。明日は菊屋にでも行こうか・・掟破りは近そうである・・・・鰻礼賛





接待と共感


接待と共感
私もこの年だからサラリーマン時代もそして独立してからも接待を受けたことも、した事もある。良い思いをした事が無いと言えば嘘になるが、総じて接待の裏側に見え隠れする損得勘定が酔いを冷めさせる。
考えてみれば世の中そんなに旨い話は無いのだから当然と言えば当然だが、ある時に自分が接待をしてもらってそう感じるのだから相手だってきっとそう思うだろうと思って一切やめた。
今は接待ゴルフも接待で夜の街を案内する事もされる事もなくなった。
相手が私はそうした誘いに乗らないと分かると気が楽である。サラリーマン諸氏に言わせればそれも仕事の内という事になろうが、個人商店では残念ながら断じてそれは仕事ではない。
私が30代の頃ある人に言われた。お酒で接待するなら、ゴルフを誘いなさい。1日酔わずにその人と対峙することは普段の接待の100倍も200倍も効果がある。
さっそく試してみた。しかし、中にはゴルフをやらない人もいる。それに折角の休みを家族と離れて一人だけゴルフの興じるということは如何なものであろうと思った。
英語でひとり残された妻の事をGolf Widowと言うらしい。尤、「夫元気で留守が良い」という謳い文句の通りなら、妻も喜ぶであろうが、そうでない女性には申し訳ない事になる。実はその女性よりその家族、とりわけ幼い子供がいた場合など私は一番気になるのだ。サラリーマンの場合、父親が子供と接するのは土曜日曜位なものだ。その機会を奪ってしまう事になる。それからゴルフの接待もやめた。
忘年会や新年会というものもある。普通なら社員の懇親の意味合いが強いのだろうが、同業の中には得意先や関連会社を招いての会を催すところもある。こうした手合いのほとんどは如何にお金を持っていて、高級な店を知っているかという事を誇示するかの如く金満下衆で品が無い。
巷で言う一般的な接待をしなくても相手に共感してもらえれば良いのでないか。確かに赤の他人が一人の人間の考え方を簡単には共感してもらえないのは分かるが、個人商店の究極の目標は実はこれに尽きるのではないだろうか。それを究極の目標として実践するしか会社の根っこを育てる方法はないのだ。個人商店にとってオンもオフもない。そんな事を言っていたら時間などいくらあっても足らなくなる。時間は自分で作る。忙即閑、閑即忙である。
自分の引き出しを人に見せるというのは恥ずかしいものである。私だって無知無能の中身をさらけ出すのは恥ずかしいし気後れする。でもここで躊躇しては駄目だ。一切合財全てさらけ出して見てもらわなければ共感力を引き出せないからだ。
最高の接待とは何であろう。自宅に相手を家族で招き入れ、ゲストに心をこめた手料理をふるまい、そしてお互いの趣味や興味のあるプライベートな話をすることではないだろうか。実は美味しいとか不味いといという舌の感覚はもっとも共感しやすいものでもある。美味しい店の話題で盛り上がるのは村上春樹氏の新作の評論をするより簡単でしょ?(例えか変かな)
出来ればこれに友人たちが加われば尚更宜しい。そうすることでどんな意識を持って生活しているのか、そしてそれが実践されているのか一目瞭然だからだ。
そんな会を家でやるようになって8年目を迎えた。最初の頃は仲の良い友達だけだったが、今では社員の家族もお世話になっている方々も加わり大所帯になった。ある人が言うとおり、残る人、去る人もいるがそれは世の常。ただ、今年も腕によりを掛けて料理を作らねばと思うのである。折角の料理がまずかったら共感などしてもらえないからね。

 




2013年4月22日月曜日

味のメート原器 イン・アンド・アウト


味のメートル原器 イン・アンド・アウト

あまりにも食に関する事を話題にするものだから、人からは飲食関係の人と思われる事が多い。確かに15年間は2足の草鞋ならぬ掛け持ちで小さな店を切り盛りしていたのだからやぶさかではないのだが、今となっては完全な趣味と思って戴きたい。
我が家の長男は美味し物が大好きである。小さい頃から味にはうるさかった。不味いものと美味しい物を見分ける舌を先天的に備えていたようである。そしてもうひとつ彼はケチである。不要な物にお金を掛けない。これは小さい頃から23歳になった今でも変わらない。

彼にはお小遣いは与えなかった。彼は必要な時はその理由を述べてその都度貰っていたからだ。彼の方からお小遣いが欲しいと言う事はなかった。

今、世の中にはグルメバーガーなる高級で見た目も豪華なハンバーガーを売る店が多くなった。そのはしりといえば1号店を青山にオープンさせ、鎌倉の若宮大路のサーフショップの隣にもあるKであろう。だが彼はこうしたグルメバーガーには目もくれない。何故なら彼の判断の基準は常にマクドナルドだからだ。マクドナルドの値段と味と比してどうなのか、これが彼の導きだした結論である。恐るべしマック!!こうして国民食マックが誕生した。

私などハンバーガーに出会ったのが遅かったので自分の基準というものを持ち合せていない。こうなるともはや根なし草である。あちらが旨いと聞けばあちらに、そちらが良いといえばそちらに移動するハチドリの如くせわしないのである。

11年前にロスに出掛けた。海岸線沿いにサンディエゴまで南下している途中に派手な看板を見つけた。矢印で入口と出口を表しているような標識と見間違う看板には「イン・アンド・アウト」と書かれていた。運転をしてくれたM子さんに導かれその店に入ると、客席はごく普通である。日本のファミレスのようである。ところが運ばれてきたチーズ―バーガーはバンズ、パテ、トマト、レタスの量が丁度いい。パテは牛肉の味がする。これならいける完食した。ポテトも旨かった。

ところがこうした普通に旨い店が日本にはない。店の名前はソウルファンなら80年代に似た曲があったので覚えやすいだろう。

おりしも、丁度その少し前。富が谷から東大教養学部の裏門に向かって暫く行った右手に簡素な木造の建物でグルメバーガーの先駆けとなったフレッシュネスバーガーの1号店がオープンしていた。こちらは完全に日本人に向けた商品である。内装はアメリカンだが商品は小振りに作って、マヨネーズを効かせたものだった。

私は考えた。これでは味のメートル原器にはなれないのだと。あのイン・アンド・アウトが小さな頃からあって食していたならばきっとメートル原器になっていたはずだ。そう思った記憶がある。



夢の記憶


夢の記憶

私はよく夢を見る。子供のころからよく夢を見た。子供のころの夢は崖から落ちる夢やスキー場にいるのにスキー靴を忘れたというような夢が多かった。

40歳を過ぎて1年間、夢の記録をとったことがある。もちろん覚えている範囲でしか記録は出来ないので全てというわけではない。

最近ニュースで夢のメカニズムが解明されたとあった。恐らく脳のどの分野で活動が活発になり、その関連性を高性能のコンピューターで前日や過去の行動からそのどの部分が合致しているのか判別しているのではなかろうか。

そんな高性能のコンピューターを使わずとも類推できるものが多い。人間の心の中に表面化しない滓のように沈んでいるものが、夢の中でその事にはっとさせられることがある。いくら良い人ぶっても人間には複雑な一面かある事を知らされる。

昨日見た夢は母が急激に老化し、その顔飄が変わり痴呆化する夢である。その原因は我が家の13歳になる高齢犬がおむつをするようになったことが影響しているかもしれない。前の犬は7歳で突然あの世に逝ってしまった。だから、介護も手当ても何もできないまま一晩で急変した。今の犬はその犬の2倍近く生きていることになる。介護を楽しめと言う人もいるが中々はそうは旨くできないだろう。ただし、介護はその犬()とのお別れの時間にゆとりを与えてくれていると思うのは如何であろう。

父が危篤で病院に向かった時にはすでにこん睡状態だった。父は満州の夢を見ていた。馬に跨りライフルを片手に馬族と対峙していた。父にとっての人生の最高の時間が最後に巡ってきたのかもしれない。それが私の唯一の救いだった
最期をみとった病院の前を毎朝私は車で通過する。神社の横のうす汚い建物はすっかり綺麗に見違えるように新しくなった。

誰でも必ずその時がやってくる。いつもは忙しさと日常生活に追われてそんな大切な犬()の声をつい簡単に片づけてしまう。だから、ほんの少し、いつかお別れする犬()に優しくしてあげられたらと思うこの頃である。焦る必要は無い、別れの時は必ずやってくるのだから・・・





2013年4月19日金曜日

越前蟹


越前蟹

蟹の好みはその人の出身地によって異なるようである。
北海道出身の道産子なら厳冬期の毛ガニが一番うまいというだろうし、南の島国ならアサヒ蟹が美味しいというかもしれない。上海の人に言わせれば陽澄湖のもくず蟹が一番というだろう。

私の場合は間違いなく越前蟹である。越前蟹を食べたのは岐阜に赴任している時だった。私が仕事中の平日、妻と義父が車で越前まで出掛けて生きたままの大きな2匹の蟹を買ってきた。茹で上げて食べたそれは今まで食べたどの蟹より甘みが強く、しっとりしていた。

蟹は同じ蟹でも住む場所によって全く味が変わると言う。ロシアやサハリンの遠洋で獲れるものは半値近く安い。もっともこれらはすぐに冷凍にされるので生ではないのですぐ分かる。近縁にオオズワイガニ、ベニズワイガニ、オオエンコウガニなどもいるが本ズワイガニが一番甘みも強く、各地でブランド化されている。

ズワイガニは楚蟹、津和井蟹と書く。楚とは古語で「すわえ」と読み、細い枝を意味する。なるほどこの蟹の脚はすっとしていて美脚である。もっと脚の長い蟹は他にもいて、戸田で獲れるタカアシガニは1メートル近くもある。一度食べたが大味だっと記憶している。

越前蟹で思い出すのは大食漢で食通の開口健氏である。今年こそは氏の名前が冠された「開口丼」のある、こばぜという旅館に逗留し食べてきたいと思っている。
氏が言うように蟹は食べるのが面倒くさい。この丼のように白いご飯の上に蟹の身がどかっと乗っているのをガツガツと食べたい衝動に襲われるのは無理からぬ話である。

六本木に老舗のステーキハウス瀬理奈がある。ここでは越前蟹のシャブシャブを食べさせてくれる。薄い昆布出汁の澄んだスープにぷりぷりの身をくぐらせて食す。口の中で肉を噛みすっと身を剥がしながらそのまま呑みこめば、口の中に百合の様な蟹肉独特の甘い香りと微かな磯の香りが交互にやってくる。至福のひと時である。

そうそう蟹は何の仲間か知ってました?
答えはクモ。最初に食べた人はさぞ勇気が必要だったのだろうな・・・



2013年4月17日水曜日

鎌倉散歩


鎌倉散歩

鎌倉に通い始めて20年になる。居を移して2年になるがそれまでは縁遠い存在だった。唯一、小学校の修学旅行で鎌倉を訪れたことがあるが、あのとき横浜に住まう事になる事も、ここ鎌倉が私の身近な存在になるなど毛頭考えも及ばなかった。

鎌倉は四季を通じてその時々の面白さがある。桜咲く、若宮大路の春。紫陽花が海に向かってむせび泣くように開花する成就院。歴史に名高い大銀杏の落葉。数え上げればきりが無い。

そんな中でも私は夏の鎌倉が一番好きだ。人によっては何故気候のよい春と秋ではないのかと訝しがる向きもあると思うが、一番良い時期は観光客に譲る事にしたのだ。それは冗談であるが、やはり夏の鎌倉が好きなのだ。

鎌倉には自転車が置いてある。いつも練習で使っているロードバイクではなく、いわゆるママチャリである。それにサンダル履きでひょっと飛び乗ってあてもなく鎌倉の街を巡るのである。夏の暑い日差しの中、銭洗弁天への坂を登る、汗が滝のように噴き出す。そして弁天の中に入ると汗がすっと引いて行く。その気持ちよさは格別だ。

極楽寺へ続く坂を上り、七里ガ浜に向かう。134号線の渋滞が嘘のように裏道は空いている。お気に入りの家の前で黒いゲレンデが無ければ今日は留守かと要らぬ心配をする。

この春ひとつの楽しみが減った。丸七商店街の中で長く営業していた鰻屋さんが店を閉めたのである。

鎌倉には「つるや」という名高い店がある。味も私の好きな江戸前でお値段も高くない。この店の近くには小花寿司という、これまた鎌倉で1.2を争う店がある。

どちらにしようかといつも思案してしまう。丸七の鰻屋は本店を佐助におく「うな豊」の出店であるが、鰻をこの商店街の中で焼いている。本店にも行った事があるが、出来たてを食べるのであれば、「つるや」に軍配が上がる。もっとも鎌倉には他にも「妻木家」、「浅羽屋」などもあるが、私の個人的嗜好からは「つるや」が上に来てしまう。たれの辛さと蒸しの柔らかさが私の好みなのだ。

一度、天然のうなぎを食べた事がある。一緒にいた人は天然ものだと浮かれていたが、私には固くて甘くて、美味しさを感じられなかった。

丸七内のその店は頭におまんじゅうを載せたような古風な髪型のおばあちゃんが一人で切り盛りしている。もちろん持ち帰りのみ。

私は出来る限り売れ切れ間近に行くようにしている。そのおばあちゃんの笑顔が見たいからだ。最後の鰻が売れた時のその嬉しそうな顔は何よりの味付けになる。

冷めた鰻を温め、熱々のご飯に乗せて、うな丼を作る。それにはここの鰻が一番良いのだ。残念ながら私は今そのおばあちゃんが焼いた最後の鰻を食している。

冷凍してあったものを温めなおし、食している。半分はうな茶にした。これも旨い。

丸七を覗く楽しみが減ってしまった。また、何か楽しみを見つけよう。夏が来る前に。
 
 
 


2013年4月16日火曜日

贔屓の店


贔屓の店

辻静雄氏や山本益博氏について料理や文化についての総合知としての慧眼を持っておられると賞賛したばかりだが、ひとつだけ私と違う点がある。それは贔屓の店についてである。
氏は美味しい物を食べたければ贔屓の客になるべきであると言っておられる。確かにそうかもしれない。それに異論はない。しかし、どうだろうミシュランの形骸と以前申し上げたが、星を獲った店の中には客を客として扱わない店もある。私も経験した事があるし、つい先日、銀座のそんな店に友人が出掛けたら、客の前で板前を叱りつけていたというのである。これでは興醒めである。
こうした店は贔屓の客を特別に扱う。いや、それ自体店が生き残っていくために必要ならば仕方ないだろうが、ならば一般客などとらず会員制で営業すればいい。一般客に門戸を開いておいて、そんな気分にさせる店は良い店だとは思えない。
私などそうした高級店と縁遠い存在なので、私の贔屓の店はそんな事は一度もない。
その親父は常連であろうが、初めての客であろうが、年寄りでも子供でも誰にでも江戸ッ子訛りで満面の笑みをもって話しかけてくる。そして出される牡蠣フライのカリカリでジューシーな事、それはもう笑わずにはいられない美味しさだ。料理に真摯に向き合う事も必要だが、客が楽しく帰る事のできる大らかさも必要な気がする。
私の贔屓の店は、「そこそこ美味しくて」、「肩ひじ張らず」、「客を楽しい気持ちにして帰してくれる店」である。
今日のランチは中目黒の駅裏のあの店にオムライスを食べに行こう。壁に大相撲の取り組み表の張ってあるあの店に