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2013年5月28日火曜日

田舎の怠慢


田舎の怠慢

昨日、西三河の西浦温泉より帰郷した。訳あって逗留したのだがこれが酷かった。
その旅館は辺り一帯では一番と評判の宿のはずだったが全てにおいて琴線を触れるものはなかった。
巷では日本の観光業は斜陽だと聞く。昨年訪れた加賀の温泉もそうだったようにこれでは人が来ないと嘆く前に、もう少ししっかりと顧客のニーズを掴むべきである。
すると彼らは「田舎は東京とは違うから」とすぐ言い訳をする。東京の人達に来てもらわなければどうするつもりだろう。
宿には****中学同窓会様という案内状が出ていた。まだ団体客の残滓を求めている。
それだけならまだいい、大型の観光バスを広くも無い車寄せに横付けして一般の宿泊客の出入りにも支障をきたす。こうした何も考えない人達。
料理も酷い。袋から出しただけのものを数があれば良いという風に皿に盛り、鰺の干物は鰯より小振りで、冷凍庫で2年以上保管し化石化したような代物である。
夕食を2名追加してほしいと頼めば宿泊料金の7割を頂戴したいときた。あほか。
私が国内旅行をしたくない理由の一つがこうした宿のように何一つ満足できるところがないからだ。
これは田舎の怠慢以外の何物でもない。左前になると、すぐ東京はいい、大阪はいいとすぐに言う。
ワールドワイドという言葉がある。国際的に何処へ行っても対応できる基準の事だ。海外で生活していた友人たちの多くがこれを持っている。残念ながらドメスティックオンリーの私は持ち合わせていない。それでも私の場合には仕事柄ジャパンワイドでないとやっていけなかった。
田舎に行くと、この基準を満たしていないものが如何に多いか辟易させられる。基準を満たせないのだったら最初からうちはそういう風には出来ないと独自の路線を打ち出せばよい。出来ないのに都会を意識して似てもいないのに真似をする。これくらいカッコの悪いことは無い。大食堂を小分けにして個室風にするが、火を使うと暑くて仕方ない。エセの洗い出し風リノリウムの床や薪風の照明はお笑い物である。
もっと恐ろしいのは、こうした地方ではいくらジャパンワイドをお題目にしても、「だから」と言われる。そして次第にジャパンワイドも使わなく、その事も忘れてしまう。車は走れば良いからと白の軽自動車のオンパレードである。しまいには経済性。
私は息子にはワールドワイドになってほしいと思っていたし、娘にもジャパンワイドであってほしいと思い続けて来た。しかしながら、今黄色の信号の点滅である。
郷に入らば郷に従えの教えがある。この場合はとても危険な教えになる。あーくわばらくわばら、娘は可愛いが、まだ田舎の怠慢を受け入れられるほど私は達観した訳ではないので暫くは近づくことを遠慮しよう。私も確かに「あーいやだ、いやだ」なのである。




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