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2013年1月17日木曜日

インド料理 市が尾 ラズィーズィ


インド料理 ラズィージィ 市が尾

 横山(横浜じゃなく)に住んでいると本当に美味しい料理屋が少ないとつくづく思う。つい先日も某ショッピングセンターに入っていた鰻屋が退店すると聞いた。もはや半径10キロ圏内うなぎを買えるところは無くなった。まさに鰻の真空地帯である。ますます寂しくなる。
 そんな不毛の横山でもインド料理はとびきり美味しい店がある。そもそもこの店は鴨志田にあった。いやいまもある。駅はどこも遠い。はっきりいって辺鄙である。店構えからして怪しい。裏手にある駐車場も小高い雛段の上にあり、一歩間違えると車か落っこちてしまう。そんなスリリングではあるが、味は正真正銘インドのそれですからご安心を。

 その2号店が市ガ尾に出来たのだ。これなら車の心配はいらない。

インド料理との出会いは会社に入ってからだ。私の生まれた街にはカレー店はあったがインド料理店はひとつもなかった。カレーもインド料理だろうとご指摘する先兄もいらっしゃるだろうが、そもそもカレーは日本で独自に発達した正真正銘の日本食であると私は断言する。学生のころに命の糧となったC&Cのカレーはまさにこれである。
それにナンを出すかどうかで決まる。ナンがメニューにあればほぼインド料理店と思っても間違いはなかろう。

 会社の先輩が赤坂のインド料理店で結婚式の2次会をした。この頃からインド料理店が増えて行ったような気がする。都内に住んでいる頃は赤坂のTBSの近くにあるモティという店に通った。ここのキーマカレーは格別だった。

 横浜に越してきてからショッピングセンターにインド料理店が入っていたので何度か食したが、残念ながら私の口には合わなかった。

 ラジィーズィの料理はどれも美味しい。自家製のナンは表面は香ばしく中は柔らかくてもちっとしていて美味しい。プラウンマサラという小海老と玉ねぎと野菜が辛目に味付けされたインド風のサラダと釜で焼かれたチキンもお薦めである。チキンはヨーグルトに浸かっているため柔らかくスパイシーだ。チキンティッカという名前だった。これが熱々の鉄板でキャベツの千切りの上に乗せられて出てくる。カレーはお好みに応じて辛さを調節してもらえる。一度大辛で注文した時があったが、辛い物大丈夫な我が家でも胃の中が火事になったので普通をお薦めする。我が家ではカダイプラウンというこれもまた海老の辛いカレーと中辛のホウレンソウカレーを良く注文する。考えてみるとインド料理との初めての出会いは新婚旅行の時だ。当時は政情が不安定ではなかったのでエアランカ航空はコロンボで一泊し、翌日目的地のモルディブへ飛んだ。そんな飛行機の2回出る機内食はどちらもカレーだったがこれがすこぶる旨かった。日本のそれと違っていてさらっとしていてしつこくない。そして着いた地でもカレー三昧の日々が待ち受けていたのだ。人生であれだけカレーを続けて食べたのはこれっきりである。それでもカレーが嫌にならないのだから、如何にカレーが愛され我が国民食となっているか証左である。あれインド料理の話でしたっけ??







玉石混交

仕事をしていて思うのだが、つい我々は都合のよいところばかりついばんで仕事をしてしまう。

本当はその全てを経験しなければならないのに、合理的とか時間の性にして省略してしまう癖がある。

そんな事言ったって時間は有限なのだからといっているご仁がおられればそれはそれは残念な事である。

昨日、息子が大阪のアメリカ領事館に面接に行って来た。Jビザの取得である。終電で大阪に入り朝一で面接、午後には研究室に戻った。

同様の留学をするほとんどの人間がビザを取得しない。つまり観光のままに海外に出掛ける訳である。

ところが息子の渡航先のUCLAは原則的だ。確かに細かく要件を見てみると確かにビザの取得が必要となる。

そもそもビザについて考えたことがあるだろうか。私は今回初めて少し深く考えた。

代理人に依頼して取得してもらう事も出来るが、それじゃ文頭の意味がない。

ビザにもこんなに種類があったのかと驚くばかりである。政府や国としての渡航ビザ、アカデミックな渡航ビザ、さらに就労ビザ、移民ビザ・・などなど色々ある。

例えば息子の申請したJビザは就労も可能である。ただし、滞在期間を不法延長できないような仕組みがある。なるほど国が自国の利益のために国民に見えないダクトテープを施している訳である。

相手先の紙面はもちろん、教授の推薦状、どのような研究をしているかのレター、自分の学籍証明書、戸籍謄本の英訳、過去の全てのパスポート、残高証明書、基金の出資証明書などなど沢山の書類が必要となる。

そして何より副領事と面談である。それまでは日本語の面談だったのが、息子の番になると副領事にバトンタッチされ英語に切り替えられたようだ。

相手だって人の子、興味が湧けば力が入る。息子は英語で心臓の血管形成のシステムについての研究について説明し、相手に大いに共感してもらえたようである。

これこそが大切だと思うのです。研究もビジネスも相手があって初めて成功する。そして成功の前には多くの人を共感させる力が必要となるからです。

玉石混交であってもいつも玉ばかり探そうとするのではなく、河原の石コロもたまには手にとってみるのも人生にとって必要な事だと思うのである。

老いたら子に従え・・・・確かに一理ある・・・・