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2013年1月29日火曜日

ひな鳥 とよ田 自由が丘


ひな鳥 とよ田 自由が丘

岐阜でカシワ(親鶏)の旨さに開眼したとは言ったが、ひな鶏が不味いわけではない。関東ではもっともこちらを好むようである。確かに親鳥特有の鶏臭さはない。身は白く柔らかい。
私が自由が丘のひな鶏専門店、とよ田を訪ねたのは20年近く前になる。地元に住む知人に誘われて訪問した。
当時私は三田に住んでいた。三田と言っても慶応大学のある港区の三田ではなく、目黒のさんまで御馴染の茶屋のあった場所の近くだった。もっとも三田の地名は縁があるようで、慶応の横にある春日神社の分祀もあった。当時私は飲食店の雇われマスターもしていたので色々な店を食べ歩いた。東にカレーの美味しい店があれば出向き、西に焼き肉の美味しい店があれば足を運ぶ、まさに東奔西走の毎日だった。そんなことをしているのだから当然体重は増加し、足元もおぼつかず、まずいことになった。
そんな理由から自由が丘にあるスポーツクラブに通うことにした。私は柔道で発症した腰痛もあって筋肉トレーニングはご法度だった。だからもっぱら取り組むのは水泳だった。当時は1日1キロ近く泳いでいた。あのスポーツクラブには有名人も多かった。
NHKの大河ドラマの秀吉の主演が決まったTN氏や、女優のMH氏も良く来ていた。
そんな有名人を傍目に黙々と泳ぐ。1年近くは続いたと思うが、最後は決まって中耳炎になり、ドクターストップとなる。どうも私の耳は中耳炎になりやすいらしい。これは今も変わらない。
とよ田では鶏の部位に分けて供される。手羽、もも、ネック、手羽元、どれもその揚げ方が極上である。私は鳥だけにとりわけ??砂肝が好きである。いくつでも食べられてしまう。外側はカリッとしていて、火は通っているものの中はジューシーである。これがビールと合わないわけがない。鶏肉とビールを交互に口に運べばもう天国の心地よさだ。
それから何回通ったことか。横浜に来てからはその回数はぐっと減ったが、暫くぶりにここの鶏を食べたくなった。手羽先は名古屋が有名と聞いて数店有名どころで食した事があるが、はっきりいってこことよ田の方が数段旨い。もし東京で旨い唐揚げが食べたいなら迷わずここをお薦めする。そうそう、締めで頼む鶏スープも鶏の滋味が出ていてくせになる美味しさだ。





とんび岩


太一ことターボーの家と良平の家は直線距離にして500メートルしか離れていなかった。二人は学校から帰るとランドセルを放り投げるようにしていつも真っ暗になるまで遊んでいた。そんな二人のクラスに鈴木勝男が転校してきたのは小学校5年のときだった。
鈴木勝男は背が高くひょろっとしている。背が低いターボーとは対照的だ。勝男は浦和から転校してきた、父親の仕事関係とか言っていたが、そもそもこの街の小学校で転校生は珍しい。小学校、中学校と学校は変わるが、生徒のメンツは変わらない。
クラスの担任が勝男の紹介を終えると、勝男を良平の席の隣に座らせた。先生は良平に宜しく頼むとポンと肩に手をおき、くるりと反転し黒板に向かった。良平はそう先生に言われたことが少し誇らしかった。
それから3か月が過ぎた。勝男は体育の授業では球技はあまり得意ではなかったが、駆足だけは早かった。今までクラスで一番早かった男子と競争した時も大差で勝利した。
勝男は痩せていたことでスイッチョンという渾名をもらった。この地方ではクツワムシに似た、ウマオイのことをスイッチョンと呼ぶ。ただし、勝男のそれはその駆け足の早さから「スイッチ・オン」をもじった名でもあった。
3人は土曜日の午後、とんび岩に行く約束をした。とんび岩はその街の西に位置していた。周囲を山に囲まれているその街はどこへ出掛けて行っても山がすぐ追いつく。とんび岩はその山の中腹にあり、とんびが羽根を畳んでひょんと留まっている姿に似ているからつけられたようだ。良平は街を睥睨するようにその場所にあるその岩が好きだった。
3人とも小さなナイロンのナップサックを背負っていた。この街のはずれにある競艇場の開場20周年の記念に貰ったものだった。
途中の駄菓子屋で3人は飲み物を調達した。良平とターボーはグレープ味のチェリオを買った。勝男は透明のスプライトにした。
途中まで道は舗装されていたので3人は自転車で登り口に位置するその小さな公園まで行った。公園に着くころには背中にびっしょりと汗をかいていた。山の稜線にそって3人は登り始めた。
途中、地表に飛びだした木の根っこの上を土と同化した落ち葉が重なり、足を取られそうになったが何とか半分辺りまでたどり着いた。さらに進もうと良平が二人を振り返ると、勝男が「変な虫がいる」と地面を指差した。ターボーがその虫を見る。それはオケラだった。勝男はオケラを見たことが無かったのだ。虫の好きなターボーがそのオケラを捕まえて、ビニールの袋に入れようとした。良平はターボーをたしなめるように、「オケラは明るいところにいると死んでしまう。目が見えない彼らは太陽の光をとても嫌うんだ。だから、持ち帰っても死んでしまう」ターボーは残念そうに袋からオケラを取り出し草むらに放した。
太陽が西の山に近づいたころ3人はとんび岩にたどり着いた。3人とも汗だくで疲れていた。岩は2段になっていて、丁度段と段の繋ぎ目が平らになっていた。そこに3人は腰を下し、持ってきた飲み物を飲んだ。眼下に自分たちの学校が見える。とても小さなその建物は模型を見ているみたいだった。こうして街を見てみるとあれだけ大きく広いと思っていた街も案外小さいものだと思った。この街から離れたことのない二人はこの街の外のことが気になった。どんな街があって、どこに続いているのか。漠然とした少年の気持ちはその後の二人の人生におおきく影響を与えることになる。