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2013年4月5日金曜日

初めてのハンバーガー


初めてのハンバーガー

こんなに悪食なのにハンバーガーにはてこずる。どうやって食べたら良いのか分からないのだ。もっともペッチャンコの一口で食べられるような代物はそのままパクリと大口を開ければいいのだろうけど、これ見よがしのベーコンだのアボガドだのが幾層にも積み上げられたハンバーガーにはもう降参である。一度、順番に上から食べた事があるのだが、まあなんていうかハンバーガーではなく、ピクルスはピクルスで酸っぱいし、ベーコンはベーコーンで油っぽい、パンはパサつく別の物を食べているようで美味くなかった。
もっともこれも元をたどればハンバーガーなるものを食べた原体験にあるのかもしれない。
私の育った北関東の街はあの当時は東京より10年は遅かった。水洗トイレになったのは私が4年生のときだった。薪の風呂からガスに変わったのは中学になってからだった。
おしなべて万事がそんな塩梅であった。(私の家だけかもしれないけどね)
そんな事情もあってマクドナルドが出来たのはずっと後だった。今調べてみたら50号線の街道沿いと郊外のショッピングモールにあるようだ。いずれにしても私の高校生までは無かった。
初めてハンバーガーを食べたのは高校1年の時だった。高校の校門を出て右手(たぶん)に自動販売機があった。そこをミミズクと呼んでいた。その自動販売機の一つにハンバーガーがあったのだ。
確か100円だったと思う。100円をコインの投入口に入れると、チャリンとした音と同時に透明のガラスケースの一つの箱からハンバーガーが滑り落ちてくる。
ハンバーガーを包んでいる紙は油で滲みて、ほんのり暖かいパンと潰された肉は何の味もしなかった。ただピクルスの酸っぱさだけが際立っていた。食べようと思えば10個は食べられる年齢である。量は少ないし高ければ買わないのだから下火になっていつしかボックスから消えていた。
近接する商業高校の横にはインスタントラーメンを作って食べさせる食堂があった。
壁には味の大関、サッポロ一番、サッポロ一番味噌ラーメなどとメーカー名で書かれていた。50円程度だった。味噌ラーメンが少し高かった記憶がある。
もっとも繁華街(当時は)にあった、コタンという札幌ラーメンの店は私達の餌食になっていた。大盛りを食べるとただになるという情報が行き渡り、お腹を空かせた16歳の男の子が押し掛けていた。店主もそこで一考しそのチャレンジは平日の昼間の時間に限定した。しかし私達にとってそんなハードル朝飯前だった。授業を抜け出し店主の前に現れた私達はしたり顔だったと思う。結局、暫くしてそのサービスは無くなり、店も無くなった。この店を潰した一人は間違いなく郷里にいる脳外科医のSであると断言する。
話を戻そう。実は先日立石に行った。もちろん昼間だから名物の居酒屋や焼き肉と言う訳にはいかなかった。簡単に食べられる物を探していると奇妙な看板を見つけた。どうやらハンバーガーを売っているらしい。御世辞にも綺麗とは言えない建物であるが、そこには、なんとハンバーガーの自動販売機と書いてある。37年前のミミズクの自販機バーガーがフラッシュバックした。
早速オーダーをしてお金を入れるとなにやらその箱の後ろで人が動いている。完全人力自販機である。私はハンバーガーをもらい、車のドアを閉め、おもむろに包みを開けた。そして一口食べたその味は37年前のミミズクの味だった。立石に行かれたら見つけてください。無くなる前に・・