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2013年4月23日火曜日

鰻礼賛


鰻礼賛

以前も書いたように私は鰻が好物である。出所は書いたのでここでは省くが、とにかく美味しい鰻を食べる事に掛けて努力は惜しまない。

ところが、近年うなぎ稚魚が不漁である。それも相当な不漁らしい。当然、仕入れ値は高騰し、鰻屋さんは悲鳴をあげているはずだ。私の知る限り店を閉めてしまった所も多い。先般私に横浜スタジアムで催事を行うと案内してくれた八十八さんも店舗の開店をさぞ思慮されている事だろう。

私は思った。伝統のある鰻屋さんを無くしてはいけない。ならばどうするか、鰻屋さんに行って鰻以外のものを注文するのだ。私ひとりぐらいこんな事をして何になると御叱りを受けるかもしれないが、要は私の心持の問題なのだ。もちろん永久にという訳にはいかないのでとにかく1年間は自分の足と懐で暖簾をくぐった場合には、その掟に従うつもりだ。

とりあえず4月までその掟に従っている。昨日も鎌倉のつるやさんに行った。鰻なら50分お待ちいただく事になりますと言われ、普段ならもちろん待ちますと言うところ、別のメニューを探した。注文したのは舞子丼、つまり柳川鍋の牛蒡を無くしたものがご飯に載っているものである。泥鰌は泥臭くなく、玉子もふわっととしていて優しい味だった。

食べ終わり丼の蓋を閉めていると、隣の席に鰻重が運ばれてきた。その香ばしい匂いが届かぬうちに私は退散を決めたのである。それでも暖簾の外までその魅力的に匂いは追ってきたのである。明日は菊屋にでも行こうか・・掟破りは近そうである・・・・鰻礼賛





接待と共感


接待と共感
私もこの年だからサラリーマン時代もそして独立してからも接待を受けたことも、した事もある。良い思いをした事が無いと言えば嘘になるが、総じて接待の裏側に見え隠れする損得勘定が酔いを冷めさせる。
考えてみれば世の中そんなに旨い話は無いのだから当然と言えば当然だが、ある時に自分が接待をしてもらってそう感じるのだから相手だってきっとそう思うだろうと思って一切やめた。
今は接待ゴルフも接待で夜の街を案内する事もされる事もなくなった。
相手が私はそうした誘いに乗らないと分かると気が楽である。サラリーマン諸氏に言わせればそれも仕事の内という事になろうが、個人商店では残念ながら断じてそれは仕事ではない。
私が30代の頃ある人に言われた。お酒で接待するなら、ゴルフを誘いなさい。1日酔わずにその人と対峙することは普段の接待の100倍も200倍も効果がある。
さっそく試してみた。しかし、中にはゴルフをやらない人もいる。それに折角の休みを家族と離れて一人だけゴルフの興じるということは如何なものであろうと思った。
英語でひとり残された妻の事をGolf Widowと言うらしい。尤、「夫元気で留守が良い」という謳い文句の通りなら、妻も喜ぶであろうが、そうでない女性には申し訳ない事になる。実はその女性よりその家族、とりわけ幼い子供がいた場合など私は一番気になるのだ。サラリーマンの場合、父親が子供と接するのは土曜日曜位なものだ。その機会を奪ってしまう事になる。それからゴルフの接待もやめた。
忘年会や新年会というものもある。普通なら社員の懇親の意味合いが強いのだろうが、同業の中には得意先や関連会社を招いての会を催すところもある。こうした手合いのほとんどは如何にお金を持っていて、高級な店を知っているかという事を誇示するかの如く金満下衆で品が無い。
巷で言う一般的な接待をしなくても相手に共感してもらえれば良いのでないか。確かに赤の他人が一人の人間の考え方を簡単には共感してもらえないのは分かるが、個人商店の究極の目標は実はこれに尽きるのではないだろうか。それを究極の目標として実践するしか会社の根っこを育てる方法はないのだ。個人商店にとってオンもオフもない。そんな事を言っていたら時間などいくらあっても足らなくなる。時間は自分で作る。忙即閑、閑即忙である。
自分の引き出しを人に見せるというのは恥ずかしいものである。私だって無知無能の中身をさらけ出すのは恥ずかしいし気後れする。でもここで躊躇しては駄目だ。一切合財全てさらけ出して見てもらわなければ共感力を引き出せないからだ。
最高の接待とは何であろう。自宅に相手を家族で招き入れ、ゲストに心をこめた手料理をふるまい、そしてお互いの趣味や興味のあるプライベートな話をすることではないだろうか。実は美味しいとか不味いといという舌の感覚はもっとも共感しやすいものでもある。美味しい店の話題で盛り上がるのは村上春樹氏の新作の評論をするより簡単でしょ?(例えか変かな)
出来ればこれに友人たちが加われば尚更宜しい。そうすることでどんな意識を持って生活しているのか、そしてそれが実践されているのか一目瞭然だからだ。
そんな会を家でやるようになって8年目を迎えた。最初の頃は仲の良い友達だけだったが、今では社員の家族もお世話になっている方々も加わり大所帯になった。ある人が言うとおり、残る人、去る人もいるがそれは世の常。ただ、今年も腕によりを掛けて料理を作らねばと思うのである。折角の料理がまずかったら共感などしてもらえないからね。