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2013年5月10日金曜日

卵好きのたまごサンド


卵好きのたまごサンド

私はたまごが大好きである。たまごがあれば他のおかずはどうでも良いと思えるくらいたまご好きなのである。目玉焼き、オムレツ、ゆでたまご何でもござれである。
初めてパリに行った時にモンマルトルの小さなホテルに泊まった。
エコノミーの窮屈なシートに10時間以上縛り付けられた長旅の疲れと時差で私の体はボロボロだった。そんな体調でも朝食はバターたっぷりのクロワッサンとコーヒーである。さすがにこんな時は胃に優しい和食が食べたかったが、それは無理なお話。仕方なく籠に置いてあるゆでたまごが私の唯一の食事だった。このときたまごをフランス語でウフという事を知った。毎日、毎日たまごばかり食べているので、小さなホテルでは私の渾名はムッシュー・ルフになったようだ。

疲労困憊でゆでたまごの殻をちぎりながらふと食堂の小さな窓からまだ薄暗いモンマルトルの広場を見ると、パリの小学生が親に手を引かれながら歩いていた。まるで映画のようなワンシーンだったのを思い出す。

話はたまごの話に戻そう。そうたまごサンドの話だ。
前にも書いたが、私はテレビに出演する土井さんをかなり信用している。もっとも父上の頃からだから2代にわたって食に関する嗜好ベクトルが似ていると感じているからだ。
父上が京都なかむらの先代の主人と一子相伝の椀物の作り方を著した本も持っているが、この件は昨年そのなかむらにいって体験することが出来たので別の機会に書くとして、その息子である土井氏がたまごサンドの作り方を今日の料理の中で披露していた。
それはたまごをよく潰し、クリームを入れると言うものだった。世界一美味しい朝食として膾炙したビルグレンジャー氏のスクランブルエッグも同様にクリームを入れる。

私はどちらかというとこのクリームを入れたたまごやき(スクランブルエッグ)はあまり好きではない。確かに口当たりはソフトでクリ―ミィであるがたまごの風味が消えてしまっている。たまごの白身と黄身はそれぞれ別の味がする。個人的には黄味はねっとりして少し硫黄臭く、白身はつるっとしていて草の味がするのが良いたまごだと思うがいかがであろう。それがマヨネーズという天使でやさしく結び付けられ私達の口に運ばれ混然一体となって胃の中に収まっていく。私が高校の時にアルバイトをしていたパン屋のそれはゆでたまごを包丁で荒く刻みマヨネーズと合せた。3年前立ち寄った時には新盛堂という名前だったそのパン屋はすでになくなっていた。

東銀座にアメリカというサンドウィッチの店がある。この頃はお笑いの若手がテレビで紹介した事もあるので耳にしたことのある人も多いのではないかと思うが、何分、量が多すぎるのと、どうしても手で持って一口でいけない所がイマイチなのだが、たまごの混ぜ具合は良い線いっていると思う。こんな天下無敵のたまごサンドであるが唯一の問題は呑みこみずらいところにある。歳をとるととにかくパサつくものが呑みこみにくくなる。私はその回避法としてこんなとき「仕方なく」ビールで流し込むことにしている。あくまで「仕方なく」である。だからたまごサンドにビールは必需品ということになる。もちろん「仕方なく」である・・




乗らずに逃げ出すねずみ


乗らずに逃げ出すねずみ

断っておくが私は原発容認でも反対でもない。出来れば原発は少なくなってほしいと思うし、一方では極端な電気料金の値上げは困りものである。
ところが原発事故の直後、テレビに出演して国民の不安を煽り、すでに家族は海外に移住させたと公言する輩もいた。さすがに最近は姿を見なくなったがマスコミへのリテラシーを持たない人や守るべきものが幼かったり、弱者だったりした人はこうしたデマに右往左往したのだからやはりこうした人は非理論的な感情に火を付けたヒトラーのような悪者である。
電力会社の関係者だと言い、如何に原発が危険かを紙面に掲載していた人もいたが、一方では同じ会社の人間が必死に処理を続けている。この矛盾は何だろう。
このところ船に乗ってから逃げ出すのではなく、船に乗らずに、如何にその船が危険かを説く人間が多い。リスクは対岸、自分は評論家である。私はこの評論家が大嫌いだ。何故なら、専門家と称する多くのこの手の人間は知性が統合されておらず、ある一面でのみ持論を展開する馬鹿だからだ。評論家と言うのは全体でしかものを言わない。世間の諸行には黒もあるし白もある。全体としてグレーに見えても本当はひとつひとつ違うのだ。
評論家の中でも経済評論家というのが一番始末が悪い。そもそも経済活動というのは大変複雑であって数値化出来るような単純なものではないと思う。例えばデフレとインフレと言われてそれぞれが諸悪の根源だとすればそれは禍福は縄の如しの例え通り、陰陽道の光と影に似ているのだから、所詮同じことの繰り返しなのではないだろうか。だとれば極端なリフレ政策はインフレを招き、その反対の緊縮政策はデフレを招く。
今、株高が止まらない。2万円に届くと言われている。でもそのあとは?
人間の欲望は止まらない。先人が経験してもまた同じことを繰り返す。
人間は老い易く死は自明の理。それに比べて自然は何事なかったように季節を繰り返す。身の丈を弁えず他人の物まで欲する人には幸せは訪れない。乗らず逃げるのであれば船の事は口外しないことだ。何も知らないのだから。