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2013年5月13日月曜日

鰺寿司


鰺寿司

鰺の刺身を食べたのはすでに不惑に手が届きそうなつい最近の出来事。魚の美味しさを知ったのはこの頃だから鰺も同様であった。
私の車の師匠(私が勝手にそう呼んでいる)H翁は美味しいものを知っていた。
翁は日本の自動車産業の黎明期に自動車の修理業を始めた人で、多くの後継者を輩出していた。そんな翁は仕事を辞めてからはコーヒーを飲みに私のところへ毎朝やってくるようになった。
いつも話すのは自動車の事。ランチャを購入したのもそんな影響があった。ロールスのエンジンはロングストロークでトルクが太いとか、ブガッティは気難し屋で慣れが必要だとか私の知らない事を教えてくれた。昔の職人というのは宵越しの金は持たないと言うが本当らしい。虎ノ門の仕事場では隣の店からうな重をとって玉突きをしながら昼食をとっていたというのだからこの粋人の多くの説明はいらないだろう。バーバーリーの誂えのコートは共生地でハンチングも作っていたし、白足袋のコハゼは純金だった。
ただそんな翁も贅沢な生活が祟ってか一方の足を悪くしていた。スーパーカブを器用に乗りこなし近場の移動は苦労しなかったが遠出は出来なかった。そんな理由から私は翁の言われるままドライブがてら美味しいものを食べに行った。帝釈天の鰻屋を教えてくれたのも翁であったし、麻布の蕎麦屋もそうだった。そんななかで小田原に魚を食べに行ったことがあった。いつもは早川で天麩羅を食べる事が多かったが、その時は小田原のだるま食堂という店に行った。建物は宮建築とよばれる丸い屋根が特徴で天井は高く薄暗かった。ここは足の悪い翁に好都合なテーブル席があった。席に着くなり翁は鰺寿司を注文した。私もならい同じものを注文した。皿に載って運ばれてきたそれは7.8かんあって優しく包丁で切りこみがなされ、ちょんと生姜が乗っていた。その艶めかしいまでの鰺の表面が薄暗い店内でニビ色に光りを放っていたのを記憶している。
口に入れた瞬間、生姜の風味の後に奥から海の香りがする。磯臭いそれではなく、どちらかというと大海原の洋上を吹く風のようだった。そしてその身を噛めば旨みがぎゅっと広がっていく。こんなに美味しい鰺の寿司を食べたのは初めてだった。関西ではよく押し寿司が食べられる。私も鯖の棒寿司をよく食べるがこの食感とは違う。江戸前の寿司屋で出されるそれは形こそ似ているが、鰺と酢飯がバラバラになる。そこへいくとここのものは少し硬めの握りと鰺が旨く整っている。あっと言う間に皿はガランとした。それを見ていた翁は「良い食べっぷりだ」と目を細めて、もう一つ皿注文した。
そんな翁も亡くなって10年近く経つのではないか。この翁はKさん(こちらも師と呼ぶにふさわしい)とも仲が良かった。大晦日には私が運転して真鶴まで出掛け船を出した。
船に乗れない私は船宿でひとり美味しい朝食を食べていたことが昨日のことのようだ。
この二人の共通することは二人とも外連見がなかったことだ。人に媚びようとかどうみられようとかそんな事には無関心だった。だからウマがあったのだろう。そんな二人ともこの世にはいない。
来週、天気のいい日に妻を誘って小田原まで足を延ばして見よう。平日なら夕刻までには家に着くので孫のお風呂にも間に合うだろうから。