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2013年6月13日木曜日

ワインの話 舌の記憶

ワインの話

私がワインを多少齧るようになったのはロサンゼルスから帰国した友人とその後に続いたドクトルの影響が大である。ドクトルは持ち前の好奇心と財力、知力、機動力にものを言わせて、あれよ、あれよという間にワインの一家言となった。
それからドクトルは自分と同じ年のロートンムートシルトを楽しむ会を開くなど、美味しいワインは皆で飲むのあっぱれ騎士道精神を披露目、幸いにも私達はその精神に便乗し、ご相伴にあずかった。知力財力とも及ばぬ私は安いワインをほうぼうから取り寄せ少しずつワインの勉強を始めた。ワインの勉強と言えば聞こえはいいが、要するに色々なワインを飲む事である。舌の記憶以上に確かなものは無いと思っているからである。
ワインを勉強するうちに次第にワインと合う食事についても考えるようになった。ワインにも個性がある。その個性を際立たせるものが料理である。赤ワインは偉大なDRCをはじめ、ボルドーの4大シャトー、ペトリュスと上を見たらきりが無い。確かに、冬のシビエのような料理には赤ワインが欲しくなる。ペトリュスのビロードのような舌触りに、鴨のサルミソースが合わない訳は無い。
一方、普段飲むワインは白ワインが多い。モンラッシをはじめ、白ワインもピンからキリまであるが赤に比べると守備範囲はぐっと狭まってくるが、高ければ必ず美味しいというものでもないし、その地方独特のぶどう品種を知る事も楽しみである。
昨年はケヴュルツストラミネールという舌をかみそうな葡萄の品種のものを集中して飲んだ記憶がある。価格的にも手頃でそれでいて後味が良くケースで購入していた。その前の年にはヴィオニエという南フランスで主に栽培されている力強い白を飲んでいた。これなど鶏肉の料理とも大変相性が良かった。
そして今年はトロンテスというアルゼンチンの白だ。先日、ワインショップに行ったときチリワインが高くなっている事に驚いた。それに比べればアルゼンチンはまだマイナーなので高くない。それでいて、もこの価格では飲めない高品質のものが多い。はるかアンデスの山並みを望むメンドゥーサの乾燥した冷涼な気候がきっと功奏しているのだろう。
ずっと前の話になるが、駒沢公園の屋台でチョミパン(たぶん)というケバブのようなそれでいて、もっと野菜が多く、太いチョリソが入っているサンドウィッチのようなものを食べた事がある。アルゼンチンの屋台ではごく普通に売られているらしいが、中々の味だったと記憶している。
もうひとつ、これは都内のアルゼンチン料理店で食べられるかもしれないが、ロクロという地方色の強い煮込み料理がある。豆やトウモロコシを水で戻して、野菜と肉、臓物、チョリソを入れ、ことこと長時間煮込んで作る料理だ。日本のもつ煮込みと思ってもらえばいい。
こんな事を想像するだけでマーベックの赤にするか、トロンテスの白にするか考えている。いやはや酒飲みとは厄介なものだと自分ながら笑ってしまう。
代々木上原に前出のチョミパンの店が出来たと雑誌に書いてあった。チョミパンの味を確認して、週末にはチョミパンと白ワインとブランチを作ることにしよう。


追記

舌の記憶
頭の方の記憶はこのところすっかり抜け落ちて、つい最近の事でも思い出せないことがある。ハリウッドスターが相貌失認と告白したが、私などずっと前から電話番号と名前は覚えられないので諦めている。
ところがどうだろう舌の記憶と言うものは案外と忘れないものだ。
つい最近も20年前に駒沢公園で食べたチョリパンの事を思い出していた。何故あの時公園でアルゼンチンのソウルフードなるものが売られていたのか仔細は不明だが、あの味は忘れられない。
そうこうしているうちに代々木上原にこのチョリパンの専門店が出来たと雑誌に出ていた。店主はアルゼンチンで食べたその味が忘れられなくて、本場に戻り修業をしたと聞く。これは中々期待が出来る。
私はアルゼンチンには行った事が無い。メキシコより南に行った事が無いのだから仕方がないが、ブエノスアイレスには何故か興味がある。恐らく写真で見た街の風景がそう想わせるのか、それともピアソラのバンドネオンの音色がそうさせるのか郷愁を感じる。街の面白さはその街の表の顔と裏の顔を見る事にある。ディズニーランドのようなテーマパークのような薄っぺらな街はそれも出来ないが、ブエノスアイレスのような街では観察者として目を凝らせば、表でも裏が見えるし、逆もまたしかりである。そんな街かどの屋台でファストフードとして売られているのがチョリパンだ。
チョリパンの一番大切なところはチョリソである。もちろんこれを取り巻く、ソースやパンも大切だが、チョリソが不味くては駄目である。このチョリソはメキシコのチョリソとは違う。メキシコのように辛くない。しかし、噛めばしっかりと大地と肉の味がする。
 食べ方はアンデスの草原でガウチョが肉を食べるように大きな口で齧り付くのがいい。
以前、トロンテスの白が良いと思っていたが、食べてみるとこれには圧倒的にビールが合うと気が変わった。キルメスというブルーと白のアルゼンチンビールがいいだろう。スペイン語でビールの事をla cervezaと呼ぶらしい。こちらは女の子である。






医療リテラシーと医療ショッピング

医療リテラシーと医療ショッピング

ドクターなら当たり前だよと一喝されてしまうでしょうが、私のように息子も医師の端くれとして偶然にも多くの医療従事者を側辺部に持つものとして心しておかなければならないので書く事にします。
数年前S結腸癌の転移癌で末期の先輩から相談を受けた事があります。先輩は直すつもりで闘病を続けていました。私も何とかならないのかと出来る限りの伝手を頼って、様々な方法を検討したことがあります。残念ながらどの病院でも結果は同じでした。標的遺伝子治療も検討されましたが、時すでに遅しでした。そんなとき、治験について相談していた妻の友人の某有名病院の教授が私に医療ショッピングの無意味さ、そしてそれを行った時の家族の負担について説明してくれました。その時は彼の態度に距離感を感じて少し冷たいなと感じたものでしたが、今となっては良く分かります。医療ショッピングをさせなくて本当に良かったと思っているからです。
もう一件、例をあげると、それも友人の話で、友人が食道癌を宣告されたときに、知り合いのいる都内の癌先端病院に行ったら二つの治療法を選択できる旨を伝えられたそうです。ひとつは外科的手術、もうひとつは放射線治療です。ここで食道癌の手術について簡単に御説明すると、食道癌はやっかいな癌の一つでその理由は転移しやすいからです。食道には多くのリンパ節が存在し、ステージの低い癌でもそのリスクを負わなければならないからです。咽頭癌の手術も受け、その術後の過酷さを知っている友人は出来るなら痛くない放射線で治療しようかと思っていた矢先、共通の友人でもある別のドクターから待ったが掛りました。ドクターが紹介する病院に行ってそれから決めた方が良いという半ば強制的アドヴァイスでした。そして友人の言われるまま診察を受けた大学病院のその教授から出た言葉は、外科的手術を薦めるというものでした。友人はもうひとつ別のこれもまた東の横綱が先般の教授なら、西の横綱と言われるほどの食道癌権威の教授でした。その教授から出た言葉も先般と同じ、外科的手術を薦めるというものでした。さらに彼のところでやっても私がやっても同じだよといわれたそうです。友人が外科的手術を選択したのは言わずもがな、今では食べる事も飲む事も普通の人以上に(笑)にできるように回復しました。
もうおわかりですね。医師でさえ難しい判断を迫られる領域なのに、私達のような素人が軽率に人に別の病院を薦めたり、その治療法が間違っているなどと口が裂けても言ってはなりません。医師たちは矜持を持って医療に従事しているのですから、その事も弁えて行動しなければならないのです。
例え自分の治療が例え上手くいっているとしても、その人に合っているかなどわかりません。医療とはそういう類のものです。
そうした人たちの多くは何故か医療をブランド化しています。あの病院なら大丈夫、あの医師なら大丈夫といった手合いです。
友人の脳外科医に聞いた話ですが、テレビに出ている神の手を持つというドクターでも表に出ない多くの失敗例があり盲信して縋りつくリスクが高いのだと、昨今のワイドショー化した報道に嫌悪していました。
あなたに病院や医師を薦める人がいたら、その人が本当の医療従事者なのか、医療リテラシーを持っているのかよく考えて行動して下さい。医療の選択は命にかかわる事なのですから。ちなみに心臓弁膜症の手術は今では難しいものではありません。それよりも既往症やその人の体力、生活状況を総合して治療法とQOLを考えなければならないのです。