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2013年6月20日木曜日

権太坂とハンバーグ

権太坂とハンバーグ

正月の箱根駅伝の保土ヶ谷中継所の映像を見ると大学生の時に起こした事故の事を思い出す。真冬のサーフィンを終えての帰り道、西日を浴びた権太坂のすぐ近くの短い坂道を色の褪せた友人のポンコツセリカで登っていた。
その車は今考えると笑っちゃうほどダサかった。群馬ナンバーの上、シガーソケットには真っ赤な提灯のライトが付けられ、ハンドルには安いビニール製のカラフルなカバーが取りつけてあった。極めつけは左墓天と書かれた大きなステッカーがリアガラスに貼ってあった。断っておくが決して私の趣味ではない。断じて違うのでお間違いなく。
話を事故の時に戻そう。私達は春先の冷たい海でのサーフィンと分厚い5ミリのふるスーツが体を邪魔し体力を消耗していた。そこに急に暖かい車内に入り顔が紅潮し、二人ともウトウトしてしまった。信号機の無い交差点で事故は起こった。ドスンという鈍い音とともにボンネットが大きくひしゃげて体が衝撃を受けた。はっと我に返ると道路の三分の一くらいのところで路線バスに車は衝突して止まっていた。バスのほうはバンパーが少しへこんだ程度で乗客にも怪我人はいなかった。警察の事情聴取も終わり、バス会社の渉外担当がやってきた。その男がいうには幸い怪我人もなくパンパーの傷もすぐ直る程度なのでバスは私達の対物保険で直してくれればいい。ただし、そちらが悪いのでそちらの損害は賠償しないというものだった。着の身着のまま東京に戻り、叔父に相談したが、職人でそうした手合いの話には苦手の事もあって、結局、相手の条件を呑むしかなかった。
今になって考えれば、例え車両保険を掛けてなくても相手にも責任がある。私達は初めて大人の汚い手口を思い知らされた日だった。
その時、夕焼け空に見た事のあるハンバーグ店のサインボードがうっすらと点灯した。
その道を使った理由は横浜新道が渋滞していたこともあるが、ついそのあたりの裏道を知ったかぶりをして走ったのが原因だった。何故知っていたかと言うと当時付き合っていたガールフレンドの一人がこの近くに住んでいたからだ。原宿の交差点から程近い場所に彼女の家はあった。銀行員の父親を持つ彼女の家庭は厳格だが明るく自由だった。彼女を家に送り届けたある日、その父親が近くのハンバーグ店に連れて行ってくれた。それがこの看板の店「ハングリータイガー」である。
ここで「ハングリータイガー」について少し補足しておこう。神奈川在住の人なら知っている人も多いと思うが、出店が地域で限定されているため全国的には馴染みは薄い。
この店がオープンしたのは一九六九年である。私が十歳の時だ。もちろん東京から遠く離れた北関東の街ではその店がオープンした事など知らなかったが、その最初の店がこの保土ヶ谷店である。その店に私が連れてこられたのがその九年後ということだから一九七八年となる。当時は写真付きのメニューはなかった。名物の直火焼きハンバーグはもとより、飲み物も赤ワインを始め、オールドーパー、カンパリなどファミリーレストランとはかなり趣を異にしていた。
店は大きな窓から緑が写り込み、茶色のソファーシートがゆったりとしたテーブルを囲むように配されている。木製の高い天井から吊り下げられた大きなシェードのランプからは暖かな光がテーブルを照らしていた。私はいっぺんで好きになった。
ハンバーグが運ばれてくると客は一斉に紙ナプキンを高く持ち上げて洋服にソースが飛ばないような格好を取る。皆が皆同じ格好をするのでまるで儀式の様でもあり、中々笑える。
ハンバーグはしっかり肉の味がした。焼き方のせいか余分な油はほとんど落ちて外側は香ばしく焼かれ、ナイフをいれると美味しいミディアムレアの赤身が顔を出していた。
ソースは決して強くない。肉の味を引き出すために余計な事をしないように作られているようだ。
付け合わせもシンプル、皮つきのポテトとエンドウ豆だった。今はどうかしらないが、ハンバーグの付け合わせはこれに限る。私のお薦めである。
そんなハングリータイガーも数年前、食中毒事件を起こした。マスコミは一斉に管理体制が不十分とか、社員教育のまずさを書きたてたが、私はその後数回訪れていたが一度もそのような事を感じなかったので食べ続けたが、世間の客足はやはり大幅に減ったようで閉店する店が相次ぎ、神奈川に店はなくなってしまったようだ。
その事故の後、彼女とは細い蜘蛛の糸が雨に濡れ、すうっと千切れてしまったように連絡を取る事もなくなってしまった。その後、歯科衛生士になり、結婚して幸せな家庭を築いたと風の噂に聞いたものの今となっては彼女の顔さえ思い出せない。いつも真っ黒に日焼けしたスレンダーな手足と、彼女の着ていた黄色のOPのシャツだけが残像として瞼に残っている。それでもあの時の舌の記憶は残っている。

追記

料理と食べ物にまつわる私のつたない記憶と心に残った事を書き始めて96000文字になる。これほどまでに食いしん坊だったのかと自分でも驚くとともに、今日の昼ご飯を何を食べようかと朝から考えている自分の性を隠しようがない。


出店 保土ヶ谷「ハングリータイガー本店」