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2013年6月26日水曜日

思い出のハイボール

思い出のハイボール

数日前に銀座にあるハイボールの美味しいバーに行った。根魚と言うなんともキテレツな名前のそのバーのハイボールは氷が入っていない。とても繊細で美味しいハイボールだったが、私の探しているハイボールはそれではなかった。
私が学生の頃、遊び場では肩身の狭い思いをした。当時、文武両道の早稲田や慶応は早慶戦の時などそれぞれの学生達が意気揚々とそれぞれの場所で青春を謳歌する。慶応は六本木、早稲田は新宿で大いに盛り上がった。私達の学校の運動部はからきしだめで、六大学にはとうに及ばず、東都大学リーグでも辛酸をなめていた。それでも早慶戦に関係なくお酒を飲みたいと言う欲求は抑えられず、そろりそろりと酒場に向かうのが常だった。
私達は地元の四谷を除けば、新宿と渋谷で飲んだ。これは二つ年上の先輩の実家が代官山にあり、新宿で高校時代を過ごしたこともあり、この二つの盛り場に明るかったからだ。
渋谷は風林会館にある酒場だった。確かオールドを飲んでいた記憶があるので高級な感じがした。もう一件は新宿だった。あの頃、盛り場にはコンパと呼ばれる安く飲めるカウンターバーがあった。私達がよく行ったのは歌舞伎町にあるコンパエアーラインという店だった。店内は広く、いくつかのブースに分かれていて、それぞれが各国の航空会社の名前になっている。カウンターにはその航空会社の制服を着た若い女性が一人いてお酒を作ってくれる。これだけ書くと秋葉原や神田にあるイケナイコスプレバーを連想される方もいるかもしれないが、至って真面目、女性はただお酒を造るのである。そしてなによりとても安かった。先輩がボトルキープしているので千円以下で飲めた。
私はいつもハイボールを頼んだ。氷の入ったグラスにウィスキーを注ぎ、ホースのようなもので炭酸水を満たす。そして軽くステアして出す。出されたそれは薄く、かすかにウィスキーの味がする程度だった。それでも楽しく飲んでいた。
私が(先輩が)好きだったのはSASと書かれたブースだった。ご存知の通り北欧の航空会社である。今こんな事をしたら商標やらなんやらでとんでもない自体が予想されるが、当時は鷹揚だった。誰もそんな事を気にしなかった。
この店のカウンターの女性はほとんどがアルバイトだった。私達と同じような学生が多く、このカウンターの女性は多くても二名がいて、いつもは一人で切り盛りしていた。
一人の子は中央線の某有名女子大学に在籍中だと言っていた。もうひとりは最後まで素性を明かさなかった。
女子大に通うその子はストレートのショートカットで笑顔の可愛い子だった。出身は愛媛県と言っていたが、みかんが嫌いだとも言っていた。小さい頃に食べすぎて体が真黄色になったからとも教えてくれた。地方から出て来た者同士、私もその子と話をすると何故か落ち着けた。彼女はその店のアルバイト以外にも色々なアルバイトで学費を稼いでいた。家はあまり裕福でなく入学金も何とか工面してもらったようだった。私達はどちらが多くのアルバイトをしているか競い合った。私が家庭教師を筆頭に、駅前のティシュ配り、新聞の配送、土方手伝い、プールの監視員と言えば、相手も負けてない。この店のほかにあと二店、そして添削のアルバイトと張り合った。彼女の別の店のアルバイトは知り合いの女性が病気になり急遽頼まれてするようになったと言っていたが、あまり乗り気ではなかった。時給は他のバイト三倍するものの接客しなければならない。常連客がほとんどなので滅多に酷い客はいないのだが、中には酩酊して時々困る客もいると話していた。
それでもすぐに笑い顔を取り戻して薄いハイボールを作ってくれた彼女だった。
最初の夏が終わり秋に差し掛かる頃、彼女はその店を辞めていた。風の噂で聞いたところによると病気をして実家に戻ったと言う。何の病気なのかそれ以上誰も口にしなかったが、休学ではなかった。
今でも私のハイボールはあの店で飲んだ薄いハイボールを思い出す。彼女の可愛い笑顔と共に。

出店 新宿「コンパエアーライン」