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2013年9月6日金曜日

鎌倉 Party Style 鎌倉風「カチェッコ」

鎌倉で大人数で集まる時、よく作る料理があります。アクアパッツアに似ていますが、リボォルノ風ということで「カチェッコ」と言います。二つの違いはトマトが入るか否か。あとはほとんど同じですが、海の近くでハマグリがとても安いので私はこのハマグリをいれたりして勝手に色々と私風に変えてしまっています(笑)魚はその日によって異なりますが、出来る限り鮮度が良くて旬な物を選ぶことにしています。私は自転車で3分のところにある魚屋さんで選ぶことにしています。写真はアマダイです。アマダイは古くなるとヌメリか多くなるのですぐわかります。ホウボウの時もあります。新鮮なホウボウは胸鰭の模様が綺麗で青い点がハッキリしています。もちろんどちらも目は透明で濁っているものはよくありません。皆さんも海辺の生活を楽しむなら是非試して見て下さい。本当に簡単で美味しいですよ。そして良く冷えた美味しい白ワインもお忘れなく・・・

鎌倉風カチェッコのレシピ

用意するもの
ホウボウ1尾、ハマグリ(10個)トマト(中ぐらい)8個、ニンニク(1片)、セロリの葉、パセリの茎、セルフィーユ、イタリアンパセリ、EXバージンオリーブオイル、白ワイン、岩塩、胡椒、レモン


(ハマグリは塩抜き、トマトは蔕を取り水洗い、ニンニクは芯をとる、パセリの茎は糸で結ぶ)

☆ホウボウの鱗と内臓を綺麗にして、身に包丁を入れ、水気をよく拭き取り、塩をふる
☆30分放置し、水が出てきたらその水をペーパータオルで拭き取る
☆フライパンにオリーブオイルを入れ、低温からはじめニンニクの香りを移す
☆ニンニクの香りが出たらニンニクは取り外す
☆魚の両面を軽く押しつけるようにして、皮目を焼く(焼き過ぎには注意)
☆セロリ葉、パセリの茎、トマト、ハマグリを入れ火を強めて、白ワインを魚の1/6程度まで入れ、同量の水を加え、岩塩、胡椒をして蓋をして、さらに火を強める(一番強く)
☆魚に火が入ったらセロリの葉とパセリの茎を取り外し、大きな皿にもってから、軽くオリーブオイルを魚に掛け、イタリアンパセリを手でちぎり魚にふりかける
☆食べる時に好き好きでレモンを絞って食べる















白灼基圍蝦

白灼基圍蝦

日本で食卓に揚がる海老と言えば車エビ、伊勢海老、桜海老などが古くからその代表格であったが、流通や輸送技術の発達で、深海で獲れる海老や海外から養殖して輸入される冷凍海老などその種類は大幅に増加した。タイや東南アジアで養殖されているブラックタイガーや主に中国から輸入されるパナメイ海老などが普通にスーパーで見かけられるようになった。
香港に通っていた時期があった。お目当てはあちらの海鮮料理である。今ではツアー客も多くなって観光客相手の店が多くなった、鯉魚門も当時はまだ安かった。
通りを歩きながら食材を物色する。その日のお薦めの魚があればその魚と貝類を買う。海老は量り売りの重さで買う。中々馴染めない斤の換算である。一斤600gであるから十分な量である。これを近くの料理店で料理してもらう。といっても簡単な料理で出来るだけ手を掛けない方が美味しいのだから仕方がない。海老は蒸してもらい熱々の海老を手でつかみ頭を取って生姜と醤油の中にトプンと付けて口に放り込む。海老は小さな芝エビのようだったが種類は分からない。兎に角新鮮なので旨い。ところが日本では中華街でもこの料理が少ない。私はこの蒸し海老を日本で食したことがない。先日も老舗の高級中華店で出来ないのか尋ねたが無理だった。何故だか分からないが、もしメニューにあったら真っ先に注文するのに残念だ。
本場の香港に限らず、どこでこの料理を食べても美味しい。ホノルルの中華街でもカフク産の海老で作るそれは香港の物よりやや大ぶりで身の食感も高い。これも中々旨い。いつぞや連れて行ってもらったロサンゼルスの近郊の中華店のこの料理も美味しかった。供された海老はメキシコ産だと言っていたが、本当に甘みの強い海老だった。
そこに行くまで海老の種類はどんな海老が供されるか分からないが、中華街は世界中にある。フランス語が読めなくても、ドイツ語が駄目でも、どんな店に入っても「白灼基圍蝦」と書けば間違いなくこの料理が出てくるのだ。






風立ちぬを観て 

 風立ちぬを観てきました。私は映画の評論家でもないので個人的なジブリファンとしての感想であることをまずご容赦ください。
 私はスタジオジブリの作品はほとんど観てきました。ところがこの作品は他の作品と少し違うなと感じました。まず最初に感じたのは観客の年齢層です。夏休みも終わった平日ということもあるのでしょうが、家族連れ、特に子供づれが皆無でした。私たちぐらいの年齢のカップルかひとりで観ている人がほとんどで若い人がいないのです。

 題名の風立ちぬはポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」の中に出てくる詩を堀辰雄が訳したことで有名な言葉ですが、映画の内容についてはほとんどその援用で、主人公がゼロ戦の生みの親で知られる堀越二郎に設定していることぐらいなのです。でもエンディングには原作、脚本、監督が宮崎駿とありました。私としては少し拍子抜けした感じが歪めませんでした。

 映画と言うのは二つに分かれます。最近はやりの映画は視聴者の全く知らない未知の世界を映像を通して体験させるものが多く、共感と言うより、知りたいという興味が先立ち観客を別次元の世界に誘います。
 一方、観る者の体験の残像と重なり合わせて、もう一度過去を振りかえらせる映画というものがあります。例えば戦国時代を題材にした映画は私達は原体験していない訳です。例え教科書や歴史本んで知っていてもそれは体験ではありません。ところが今回のような大正から昭和に掛けた時代のものは体験の残像と重なるものがあります。そうした映画の場合、どれだけその残像を持っているのかということが視聴者の満足感につながる訳ですが、観客の様子を見ていると、特に航空機に詳しくない女性や当時のサナトリウムを知らない人にとって少し退屈だったような気がします。

 昭和30年くらいまでは日本には結核の特効薬である、ストレプトマイシンはまだ普及していませんでした。映画の中では原作に忠実に富士見療養所とありましたが、私がまだもの心つく前に叔父は榛名山近くのサナトリウムで亡くなりました。私はうろ覚えながら叔父が施設に向かった日の事を覚えています。叔父は母に決して私を連れて来てはいけないと言っていたようです。あの頃は天地療法といって、真冬でも戸外で新鮮な空気を吸うことが良いとされ、映画のようなみのシーンが登場した訳です。

 一方、飛行機についてはさらに専門的になります。ドイツのユンカースという飛行機は当時まだ珍しかったジュラルミンを用いた飛行機でした。ジュラルミンの強度を上げるためにあの独特な縞模様があるのですが、一方では航空機の宿命である軽量化には貢献できませんでした。そうした当時の状況や、堀越二郎が作った試作機が本当はゆるやかなガルウィング形状だったこと、実際のゼロ戦は直線翼だったことなどを知っていれば、この映像を観てなるほどと感心出来たでしょうが、そうでなければその違いには気づかなかったのではないでしょうか。

 映画の中で軽井沢が出てきます。碓氷峠の高架橋、赤い屋根のホテル、泉湧く森の中、外人がむしゃむしゃとクレソンを食べる、こんなシーンも軽井沢を知らなければ面白くありません。

 映画全体としてはもう日本になくなってしまった「あの時」を表現したかったのだと思います。映画の中で二郎が「どうして亀の時間じゃいけないの」と言うシーンが象徴的なように、日本は1945年で爆発して新しい時間になったのです。だから当時のような時間はもう存在しないということになります。奇しくもヴァレリーと同年にマルセル・プルーストが生誕しています。本映画の言いたかったのはまさに「失われた時間を求めて」ではなかったでしょうか。

 しかし、私は思います。もし私の祖母が生きていてこの映画を観たら何と言うでしょう。恐らく観たくないというのではないかと思います。祖母たちにとってあの時代に戻る事はないのです。何故なら彼女達自身が今の時代を生きることを選んだのですから。そこが私と宮崎監督の一番の相違点なのかもしれませんね。だからまだ引退は出来ないのです・・・・