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2013年10月3日木曜日

やがて悲しき外国語


やがて哀しき外国語

私と同郷で一つ年上の三遊亭竜楽さんという落語家がいるのをご存知ですか。師匠は円楽一門なのですが、なんと6か国語で落語が出来るのです。そんな師匠がラジオの番組で面白い話をしていました。ポルトガルでの講演の時のこと、なんでもポルトガル語の発音というのが大変難しく特にトイレを意味する言葉が喉の奥と鼻をつまんで時間差で出すような発音らしく(グゥガァクゥガァみたいな)ポルトガル大使館の偉い人に発音を教わって猛特訓したのだそうです。現地で試してみようとホテルの若いフロントマンに告げるも首を傾げるばかり、もう一回勇気を出して行ってみると今度は両手を挙げて全くワカンナーイのポーズだったらしいのです。そこへ日本からのポルトガル語が全くしゃべれないスタッフが旅行ガイドを見ながら一言二言話すとホテルマンはトイレの方向を指さして教えたそうなのです。これには師匠も驚いて訳を調べてみると、師匠が使っていたトイレという言葉は現地ではほとんど使われない古い言葉のようなのです。師匠も言っていましたが、目の青い外国人から日本の若い人が「セッチンドコニアリマスカ?」と聞かれたら答えられないだろうと、その時の様子を語っていましたが確かにこうした勘違いは外国語に見られることですね。

この題名はもちろん村上春樹さんのエッセイからとったものですが、彼もとても面白いことを言っています。うずまき猫の見つけ方というエッセイの中で、Bitch(ビッチ)という言葉を説明していました。この言葉は映画などで相手を罵るシーンで使われますが、この言葉を無理やり「このアマ」「売女」「あばずれ」とか訳そうもんなら、まるで一昔前の日活映画みたいだと言っています。確かに後ろから来たドライバーに「この薄らトンカチ」なんいいわれたら吹き出しちゃいますね。彼はこういった「サノノバビッチ」のような言葉はそのまま訳さずに使ったらどうだと言っていますが、ようするに翻訳するにも相手の言語にそうした言葉がないと言っている訳です。納得ですね。

そしてもうひとつ言葉というは誰が使っても同じという訳ではないのですね。たとえ危険な言葉でも同じ言語圏のひとなら、まあそのニュアンスも使い方も熟知しているので火花は散るけど爆発はしない、ところが言語圏の違う人がこういった言葉を使うとそれこそ爆発炎上してしまうことがあるんですね。私が30代のころ団体で南の島に行ったことがあります。ある男性が何のクレームだったのかしりませんが、ホテルのフロントの人に向ってFack you!と言ってしまったのです。私をはじめその場にいたほとんどの人が凍りつきましたが当の本人は全く分からない。そのうち、セキュリティや他の大勢がぞろぞろ現れて警察まで呼ぶ事態になってしまいました。そのうち団体の責任者がその男に謝らせ事なきを得ましたが、まさに言葉が爆発炎上してしまったわけです。

我々はどうしようもなく外国語の苦手な日本人であるのです。いいじゃないですか、流暢にしゃべれなくても、ひとつひとつ辞書を引きながらゆっくりと意志を相手に伝えることが出来ればそれでいいと思いましょう。