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2014年12月15日月曜日

職業に貴賎なし

私にも今思うと何て馬鹿な事を言ったのか、恥ずかしくて穴があったら入りたいようなことがあります。

小学生の頃だと思うのですが、クラスの中に家が鮮魚店を営んでいる女の子がいました。その子はいつも活発で明るい女の子でした。勉強はまあまあでしたが運動神経は良く、皆の人気者でした。私はあるとき皆で話している時に「何か魚臭くない」と言ってしまったのです。もちろん悪気があった訳ではありません。ただ、その時のあの女の子の寂しそうな目とその輪の中からいつしかいなくなっていたあの子をずっと忘れることは出来ませんでした。

それ以来、職業に貴賎なし、たとえ親がどんな職業に付いていたとしてもその事で差別するようなことはしないと思ったのです。

若い頃には色々なアルバイトを経験しました。割の良い家庭教師のアルバイトに始まり、街頭のティッシュ配り、予備校の試験官、スナックのバーテンダーなど職種は本当に様々でした。
あるとき土方のアルバイトをしている時のことです。お昼に焼肉屋さんに入ろうとするとあからさまに嫌な顔をされた事があります。確かに夏の作業で汗びっしょり、泥だらけですが、一応着替えて入ったにも関わらず、ごく普通のその焼肉屋の親父は汚いものがきたというような顔をしたのです。世の中、差別が至るところに存在するのだと怒りとともに感じたものです。

それから数十年が経過し、母校のある集まりに出向いた時のことです。私達よりずっと年上の先輩がある組織を作ったというのです。その組織に加入できる条件は「一部上場企業の部長以上の経験者に限る」と言うのです。自分が蚊帳の外ということより、いい大人がそんな条件の会を組織する、その低能ぶりに悪寒が走りました。若いころに私達を蔑視したあの焼肉屋の親父と同じ目です。隣国の人に対するヘイトスピーチと根は同じです。

そんな差別は実は日本人のもっとも得意とする「そねみ」と共通するのです。
政治家の資産公開がなされるようになりました。政治家も如何に自分の資産が少なく、庶民的であるかを装うのに躍起になっています。恐らく国民の「そねみ」を買わないためでしょう。
残念です。いつになったらこの国は賞賛の国になるのでしょう。これでは三等国とレッテルを貼られても仕方ありません。差別がなくならない限り。







2014年12月4日木曜日

好きこそものの上手なれ

 我が社のスタッフA女史が私の薦めた本を寝る前に読むとお腹が空いて困るというのである。
幸せな気持ちにはなるがどうにもこうにもお腹が空いて終いには読んだことを後悔するのだそうだ。
それは困った。確かに平松洋子女史の文章は平易でしかも写真付きであったりするので目からすっと胃の中に収まってしまう。

 ならばと私が用意したのは開高健氏のエッセイである。

 日本の文壇において氏の食と釣りに関するエッセイは三指に入ると思っている。氏は生前、物書きたるもの筆舌に尽くしがたいなど言語道断、筆舌に尽くすのだと言っている。

 氏は同時に物書きたるもの筆を錆びさせることは出来ず、味覚をペンでなぞることは勉強になると言っている。

 この辺りを勘案すると氏は自分の好きな釣りと食のエッセイを書くことで、本業の小説のためのアイドリングをしていたのではないかと私は睨んでいる。

 ヘミングウェイも同様だ。ただ、彼は本業の小説の中に己の好きなことを挿入し楽しんでいる。海流のなかの島々であそこまでマーリンの種類や生態を細く書き連ねる必要もないのに嬉々として書く。

 しかし、人間このアイドリングをしている間はストレスがなく(好きなことをしている)自由な発想が次から次へと浮かんでくるのではないか。

 この最後の晩餐とて初めは食のことを書いていたかと思えば、話はカニバリズムから秦の始皇帝に飛び最後はもうお腹いっぱいとペンを置く。

 これならば読者は食べ物の妄想にとりつかれるしまもなく読了してしまうだろう。

ただし頭の中がメリーゴランド宜しくクルクル周りマリ・アントワネットやマザーテレジアがしおからやなれずしを食べ、エスコフィがブルーストにアブ社のリールで釣り上げたあんこうのパンパンに張り切った肝を蒸し器で蒸し上げ食べるのを見て、心性のの内幕に潜む徹底的なアナキストの影に怯えていたのだとして眠れなくなっても知らない。

 土桜の名刺がしおり代わりなのはいただけない。




2014年11月18日火曜日

「GDP」ショックとアベノミクスの終焉

 昨日、四半期ベースの「GDP」の速報値が発表された。民間の予測よりかなり悪い数字が出たということで市場は混乱し、株価は下がった。それよりも私は民間は何を根拠にそんな甘い見立てを建てたのか不思議でならない。

 安倍さんが首相になった時にアベノミクスを影(影でもないか)で支えている浜田氏の著作を読んだ。デフレ脱却には個人消費を持ち上げるために、企業の賃金を上昇させGDPを底上げすることは理解できるが、今回は消費増税や円安により賃金上昇分は相殺されるどころかマイナスになり消費者の財布の紐はさらに固くなってしまった。

 浜田氏は2014年の消費増税をもっと慎重に論議すべきだったと言っている。原則的に消費増税とGDPは関係ない。しかしながらマインドには大きく影響する。風邪ならまだしも肺炎が完全に治っていないのに無理をしたように状況が悪化する恐れがあると。

 そして成長戦略を急がねばならぬとも警鐘している。株価や資産バブルのみ膨れ上がっている現在のアベノミクスを揶揄しているのだ。既に安倍さんは自らの判断の甘さを今になって気づいただろう。消費税の先送りがその良い例だ。

 しかし遅すぎた。デフレ脱却には「明るい未来」が必要である。国民は「明るい未来」が見えないのだ。そもそも消費税を財源に財政再建して年金や福祉に当てる約束だったのではないか。国民はそれなら仕方ないと消費税アップを容認していたのに、さらに将来に暗雲が垂れこめる。選挙用の姑息な手段にしか見えない。

 3.11は日本経済に残された最後のチャンスだったのかもしれない。未曾有の大災害により、国民は経済成長より大切なものを学んだ。その時こそエネルギーを中心にした国、民間総力戦のイノベーションのチヤンスだったのに政策は手付かずのままだ。

 私も東京オリンピックまではゆるやかな回復傾向が続くかもしれないと言っていた。オリンピックはカンフル剤になるのではと考えたからだ。しかし考えてみるとデフレ不況により人材を縮小してきた建設業界は人出が足りない。そう簡単に増員できない。さらに東北復興のため資材も足らない。そしてこれらを担うのは超大手のみで、一般の住宅を建築している企業からは人材難、資源高の悲鳴も聞こえる。

国民は馬鹿ではない。国民は実体経済が上向いていないことを体で感じている。だから中身の無いアベノミクスにそう簡単にはダマされないのだ。

 中国は今日、オーストラリアとのFTP妥結を決めた。さらに上海の証券取引所の取引規制も大幅に緩和し門戸を開放した。隣国とはいえ圧力団体に表集めを頼むかわりに圧力団体の代弁者となりビジョンを持たないこの国の政治家と比べるのはどうかと思うがあまりの違いに落胆する。アベノミクスの終焉それは何を意味するのか・・・




2014年11月18日






2014年11月4日火曜日

柿の木は残った

偶然、生まれ故郷に立ち寄る機会を得ました。老舗の鰻屋で昼食を食べ終えた後、まだ時間が少しあるのでお世話になっている叔父に大好物の高野の忠次漬けをお土産に買い求めた後、市内を車で散策しました。

以前来た時には写真家の武田ハナ女史が「眠った街」と題したように、まるで時が止まった街のようでしたが、今回はシャッター通りは相変わらずですが、ポツン、ポツンと新しい若者の店も点在し、人の往来も増えたような気がします。

小学校からの帰り道、母に何回叱られても捨て犬を拾ってきた織姫神社、その隣にあった新川球場跡の公園。

小中学校は統合され名前は変わってしまいましたが、まだ同じ場所にあります。男子校だった高校は男女共学になりました。

無くなったと思っていた祖母が好きだった鰻屋さんも健在です。「宮本」と間違って名前を覚えていましたが、「山本」が正しかったようです。下着姿の店主が腕組をしていました。今度、そちらに寄ってみましょう。私の鰻の原点ですから。

生家の2軒となりにあった中華料理店兼洋食店も健在です。こちらも私の味の原点です。

犬の休憩に渡良瀬川の堤防に経つと、よく登った吾妻山やその途中にあるトンビ岩が遠望できます。

東北大に行ったS君とよく柿泥棒をした柿の木が廃屋になった工場の横でたわわに実をつけていました。

45年以上経っているのに同じ柿の木なのでしょうか。それとも誰かが新しく植えた木なのかわかりませんが、同じ場所に柿の木はありました。








2014年9月29日月曜日

自己愛中心と幼児化する日本


電車の中でひと目を気にせず化粧をしたり、床に座り込む高校生を前に自己愛中心的な日本人が増えたとそんな日本の風潮を嘆いたことがあったが、昨日もまさしく同じような光景を目にした。
そもそも私は田舎から上京する時にある大人から言われたことがある。それは人里離れた田舎で一生暮らすならまだいいが、都会には都会のルールがある。それを無視して暮らそうとすれば大いなる田舎者としてまわりから蔑まされ最終的には故郷を貶めることになると。
それが理由ではないが、子供を育てるにあたって、世間に迷惑だけは掛けないようにしてきた。それは妻も同様で、電車の中で兄弟喧嘩をすれば電車から降ろし、ホームの人の迷惑にならないところで何故電車の中で喧嘩をしてはいけないのか当人が理解するまで諭した。結果、勉強でもスポーツでも途中で投げ出してしまうようなことはさせなかった。
子供は自由に育てれば良いというのは幻惑だ。社会に出て組織で働けば容易に理解できるが、そうした教育を受けていない人間は組織や社会からふるい落とされる。そして社会から爪弾きにされる。
昨日も飲食店で駄々をこね泣きわめく子供を一向に注意しない両親がいた。他の客に迷惑になっているのに気にも留めないその夫婦は似た者夫婦なのだろう。しかし、子供が大きくなったときまた同じようなことを繰り返し、いつまでたってもうだつのあがらない大人になることは間違いがないが、当の親たちがそうだったように負の連鎖は連続することを知らないのだ。大いなる田舎者と蔑まされていることに。











2014年9月19日金曜日

Straight No Chaser


 男がこの言葉を知ったのは20歳の時だった。男は高円寺にあった小さなジャズバーに入り浸っていた。ある晩店内に流れていたその曲がTHELONIUS MONKStraight No Chaserだとマスターから教わった。そして辞書でChaserの意味を調べてみるとアメリカとイギリスでは使い方が違うということも分かった。アメリカでは強い酒を飲むときの水やコーヒー、牛乳などを指すと辞書に書かれていた。一方、イギリスではその反対、強いお酒を指すと出ていた。日本ではどうなのかマスターに聞いたがマスターは笑って答えなかった。

男はその店でバーボンの味を覚えた。大きな酒屋に行ってもまだバーボンの種類の多くない時代だったのにその店にはEvan Williamsというバーボンが置いてあった。焦がした樽香のするその味はワイルドターキーやジャックダニエルより力強く、ほんの少し酸味を感じるものだった。男がその酒のファンになるのに時間は掛からなかった。

THELONIUS MONKには伝説のような逸話が多いとマスターから教わった。マイルス・デイビスとセッションをしていたとき、THELONIUS MONKは急に演奏をやめてしまった。今度はそれに腹を立てたマイルスがTHELONIUS MONKの演奏中、急にトランペットを吹き始めたというのだ。それ以来、二人は犬猿の仲といわれ一緒に録音もセッションもしなかったというのだ。もっともこの話は後日談があって、話は単なる邪推で、最初からマイルスがピアノの演奏を止めるようにお願いをしていたと訂正されたが、ようするに人々にそう思わせるTHELONIUS MONKがいたことは間違いがない。

ジャズファンとしも有名な村上春樹氏が今月下旬に「セロニアス・モンクのいた風景」という本を上梓する。殆どの氏の本を持っているその男は早速予約した。
何故なら、男はTHELONIUS MONKが生きていた時代を知らなかったからだ。その知らない時代を村上春樹氏のペンによってどう理解させてくれるのか、そう、青豆が3号線から見える建物は西陽があたりベランダにゴムの木が置いてあると表現したように、言葉により景色や登場人物の心証まで送り届けたように、男の知らない時代を垣間見ることが出来れば嬉しいと密かに期待しているのだ。


2014年9月11日木曜日

コアコンピタンスと社会貢献

昨日、やっとテスラモータースのモデルSが日本でデリバリーされました。思い返せば2011年に逗子マリーナでテスラモータースのスポーツバージョンに同乗させてもらってから3年が経ちます。その間にハリウッドでモデルSの実車を偶然発見し、日本に帰ってきてからは実際にこの車に試乗する機会も得て、どれほどこの車が先進的で斬新であるかよく理解しているつもりです。

実際にその間に様々な車を試乗する機会がありました。パナメーラ、911、アストンマーチン、ジャガーF、コルベット・・買える買えない、買う買わないは別としてもどれも素晴らしい車でありガソリンエンジン車としては優秀でした。
しかしながらどの車も既存の枠の範囲内でイノベーションという言葉は当てはまりません。BMWに至っては自社の電池走行距離や充電システムの理由からもし途中でその必要が応じたら同社のネットワークで別の車を貸し出す有償のサービスまで売りだしたくらいです。これには失笑してしまいます。

ところがテスラモータースはこのモデルSの次にモデルXというSUVを発売することを謳っており、さらにその先にはモデルSの半額近いモデル3を用意しているというのです。そしてテスラ社の営業利益は四半期を除いて全て赤字にも関わらず株価の時価総額は35000億円という数字です。如何に市場が期待しているかこれからも分かります。

その強みはまさに電気自動車の心臓部、つまりバッテリー電池の技術にあります。他社の追随を許さないそれはコアコンピタンスであり同社の最大の強みです。他社が50キロ100キロの走行のところ、同社は500キロ走れるのですからその違いは一目瞭然です。

そしてさらに驚くのはその技術を他社に与えても良いということなのです。何故そうのようなことを言い出したのでしょう。クックCEOは将来悔やむかもしれないと言っていますが、それこそ自信の現れであり、イノベーションを続ける信念を持っている左証なのです。

電気自動車の市場は一向に大きくなりません。何故なら、実用に耐えうる技術が進んでいないからです。官公庁では環境問題もあり、実際に一部導入していますが、50キロしか走れない車を農村や山奥で走らせる訳にはいかず手を焼いていると言う声を耳にします。

同社のイノベーションの原動力はこうした社会インフラを整備させ電気自動車を実用可能なものにしてマーケットを創造することなのです。その理想があるからこそ生まれた産物であり、その理想(社会的貢献)そのものがイノベーションの解なのかもしれません。


2014911日た 29歳になる娘の誕生日にかえて










2014年9月8日月曜日

連帯について

私が大学に入学した頃には大学紛争は見る影もなく、その遺影さえ存在しない時代でした。そのような環境からかイデオロギーや政治的議論をするということはもはや時代遅れ、負の産物と考えていたのか分かりませんが、極端な理念、信条というものにはどうも胡散臭さを感じてしまうのです。

ところが近年、原発事故後の国民の反応はそうではなく、良くも悪くも黒白をはっきりつけるような、絶対感覚でモノを言う人を多く見るようになったのです。
首相官邸前で反原発を訴える人も自分たちは正しいことをやっていると信じきっているようで、彼らのデモのせいで迷惑を受けている人のことなど毛頭にないといった感じです。どうもこの手の政治的思想には私は嫌悪感を抱いてしまうのです。

断っておきますが原発が良いと言っている訳ではありません。ただ、どんな物事にも良い面と悪い面があるようにこの問題もそんなに簡単に割り切れるものでもないし、第一今までこうした政策で恩恵を受けていたのは私達の訳ですから、それを棚上げにして論ずるというのはあまりに虫のいい話だと思ってしまうのです。

養老孟司氏が近著の中で良いことを言っていました。人間なんて地図の上の矢印程度のもので、生きているのではなく生かされていると。原発推進にしても、反原発にしても口角泡を飛ばしながら持論を展開される多くの方々はこの地図上の矢印などではなくて自らが壮大な地図を作っていると考える人なのではないでしようか。

私が入社試験の面接をしていた頃、必要以上にオリジナル性を強調する若者が多かったのです。そういえば通りが良いと思ったのか、何かの就職本に書かれていたのか不明ですがとにかく多かったのです。私はへそ曲がりなのでそういう輩には多くの点数を付けませんでした。オリジナル、オリジナルといったところでそんなにオリジナルが大切な訳ではないし、組織というもの同じようなカラーでないと上手く機能しません。さらにそういう輩が如何に仕事が出来ないか分かっていたからです。仕事のできる人は声高にオリジナル性など強調しなくともさらっと出来てしまうのです。

戦後の民主主義は自由と平等を教えてきました。しかし本当に自由と平等な社会なんて存在するのでしょうか。現実には格差は拡大しています。教えられた自由と平等がもはや夢と分かったこととこうした極端な白黒をはっきりさせる風潮が生まれ始めたことは決して偶然ではないような気がするのです。








2014年8月18日月曜日

夏休み

子供の頃、夏休みが待ち遠しかった覚えがあります。私の父は勤め人ではありませんでしたが、高度経済成長の波に乗り遅れた人で家の家計はいつも火の車、母といがみ合ってばかりいました。

父はそんな母を避けるかのように作陶に没頭し、家を離れ窯場で一人寝食をすることが多かったのです。そんな事情ですから夏休みに家族旅行に行くどころか遊びに連れて行ってもらった記憶さえありませんでした。傍から見るとそんな可哀想で憂鬱な夏休みでも小学生の私には待ち遠しくなる理由があったのです。

それは大好きな祖母が東京から遊びに来てくれるからでした。
祖母は杉並の叔父の家を出て、渋谷で銀座線に乗り換え浅草に着くと、必ずそこで舟和の芋ようかんと松屋デパートのお好み焼きを買ってきてくれました。舟和の和菓子は今でも有名ですが、お好み焼きは地下街の名もない店で味の方はパッとしませんでした。母がいつも買ってこなくても良いと言っても祖母はそれでも買ってくるので、私たちはとうに言うことを諦めていました。

そんな祖母とも1.2日遊べば飽きてしまうのが子供です。あとは学校のプールや近くの雑木林での虫取りなど日が落ちて真っ暗になるまで遊んでいました。

祖母も東京に帰り、今日で夏休みも終わろうという日のことです。茜色に染まる西の空を見上げると銀色に光る物体が筋をつけながら西陽に向かっていきます。はやる心を抑えながらその事を母に告げると飛行機か人工衛星じゃないのと素っ気ない答えが帰ってきてがっかりしたものです。

次第に群青色に変わっていく空を眺めながら妙な寂寥感に包まれたものです。
それは夏休みが終わることへの寂しさというより、もう二度と同じ夏休みが来ない事を予感する寂しさだったような気がします。

それから半世紀近く経ってもあの夏休みの終わりに感じたメランコリックな気持ちは変わりません。それは子供が生まれ、育ち、その子供が結婚して子供が出来て私のまわりの環境は行く川の水のたとえ通り変わることがあの時感じた同じ夏がないことの確認作業でもあるからです。

去年いた愛犬も今年の夏休みにはもういませんでした。二匹と海で遊んだ記憶は心の中の頁に格納され、恐らく来年もそして再来年も全て違う一度きりの夏となることでしょう。

自分が最後に記憶の頁に格納されるまで、一度きりの夏を楽しむことにしましょう。





2014年8月5日火曜日

ロードバイクのタイヤのこと

ロードバイクをお持ちの方はチュブラータイヤかクリンチャータイヤはたまたチューブレスタイヤのいずれかにお乗りのことと思います。

そこでつたない例ではありますが、私のタイヤ変遷の歴史をほんの少しばかり報告したいと存じます。

初めは私も安価なクリンチャータイヤを付けていました。当時はチューブレスはなく、必ずチューブを付けなければなりませんでした。

皆さんも経験あると思いますがこのクリンチャータイヤだとリムパンという細い切れ長にチューブが裂けてしまうパンクを多く誘発します。

仕方なしにチューブ交換をする羽目になりますが、これが中々の曲者、指が痛くなるほど力が必要で老骨の身としては辛いものがありました。

さらにクリンチャータイヤは高い空気圧を必要とし乗り心地が良くありません。

それでも当時はチューブラーにするにしてもセメントしか無くて、そのセメントが乾くまで走りだせなかったため実用的でなかったのです。

ですから当時はミシュランPRO2を履いていた覚えがあります。

そうこうしているうちにチューブラーテープというものが売りだされ、乾燥の時間を待たず走りだせる商品が開発されたのです。

これを試してみると中々のものです。圧着は半年程度で弱くなりますが接着は至って簡単です。

そこで最初はビットリアのオープンコルサを使用していました。これが一番長く乗っていたかもしれません。

当時、ヴェロフレックスはハンドメイドに近く価格も高かったのです。

その後何とかヴェロフレックスを購入できる環境になり、レコードやさらに軽量タイプも試しましたが、それほど驚くような乗り心地の変化はありませんでした。それよりビットリアよりさらに早く空気漏れするのに驚きました。

その後、ダイワボウからシームレスタイヤが発売され試してみましたがこれが今まで購入したタイヤで一番高いものでしたが、やはり乗り心地にあまり差は感じませんでした。

後に同じようなシームレスで安価版が発売されましたが同様だった気がします。

そして究極のハンドメイドのFMBと出会いました。最初はケーシングコットンを履いていましたが、多少の値段差ならと絹のケーシングにしています。

これは察かに乗り心地が違いました。ただし、空気抜けは早くヴェロフレックス以上です。

とまあ乗り心地を追求してきた訳ですが、このタイヤの弱点があります。とにかくタイヤが細いため山道やカーブの連続する道は弱いのです。軽くて最高の乗り心地ですが、この点を注意しないでハンドルを引いたりすると側面が一発でやられます。

そこで邪道かもしれませんが、私はこのFMBにノーチューブスというブランドのパンク修理剤を入れて走っています。何故、ノーチューブスにしたかといえば水溶性で汚れてもすぐ拭き取れるからです。

ただし、入れ方にコツがあってピンの取れるタイプでないと万が一ピンの部分に圧着したら大変なのでお勧めしません。それにタイヤを十分回転させ平均にしておかないとバランスが崩れるのと、最低口金を左右の45度以上の角度にしておきます。これも同様の事です。

とつれづれ書いてきましたが、良いタイヤとは結局その人の走り方にあったタイヤということになります。

ヒルクライムに出て1秒でも早くタイムを縮めたいと言う人には超軽量のタイヤが必要でしょうし、
ヤベツをガンガンに攻めるような走りをする人や、SCSのコーナーを高速で抜けるような人にはそれなりの幅と強度の高いタイヤが求められることになるのだということです。

皆さんも自分にあったタイヤを見つけられんことを!!





2014年7月3日木曜日

沈んだ費用

今日は少し経営者らしい話をさせて下さい。

大学時代一番学ばなかった私が説明するのも何なんですが、個人商店を経営する上で大変重要な事なのでご容赦下さい。

サンクコストと言う言葉をご存知でしょうか。sunk costつまり埋没された費用のことです。既に支払ってしまった費用のことをいうのですが、いささかこれには説明を要します。

例えば建物などの固定資産と呼ばれるものは将来に渡り、その効果が継続され対価として家賃などの収益を生み出します。そうしたものは税務の中には費用と収益一致の原則が決められ一度に費用化することが出来ません。オフィスの家具も同様で一定金額以上のものは複数年で費用化されていくわけです。

ここで問題となるのはその家具は直接的に売上に貢献するものなのか否かという事です。どんなに高い応接セットを購入し、来客が喜んだとしても、それが売上に直接影響することはないでしょう。そうしたものを償却資産として税務上計上するあまり、それらに要した費用が既に支払ってしまった費用=サンク・コストだという認識を忘れがちなのです。

ある人が会社の車はリースにすると胸を張っていっていました。よほど儲かっている会社なのでしょう。しかしながら、サンク・コストの考え方に立てばこれは得策ではありません。車が直接的売上に結びつかないものである以上、その効果を将来に求めるべきではないからです。

実はこの考え方は売上にも共通します。私は埋没した売上=サンク・アーニングと呼んでいます。例えば支払が遅れたテナントが保証金も食いつぶしさらに約定を果たさないのに、家賃を回収したいと居続けさせるような場合です。結果、事態は悪化し、収益をさらに圧迫することになるのです。

人間誰しも元を取りたいと考えます。そこがこの問題の一番厄介なところです。
私はひとつ自分で決めていることがあります。それは現金で支払えるもの以外は買わないということです。車でも不動産でも現金で買えるものにしています。現金が足らないなら買わなければいいのです。確かに欲しいなあと思うこともありますがそれによってこの小さな会社も何とか30年持ちこたえることが出来たのだと思うと範を変える気にはなりません。

皆さんもサンク・コスト今日から意識してみませんか。






2014年6月26日木曜日

私的カーグラフィック#28 ジャガータイプF


ジャガータイプEは私の永遠の憧れです。そのタイプEへのオマージュとして作られたのが今回のタイプFです。ロングノーズ、ショートデッキはタイプEと似ているものの、後ろから見るとアストンマーチンのようでもあり、前から見るとマセラッティのようでもあり、やはり別の車です。宣伝文句がまたいい”It’s good to be But!!”まさにヒール役の私にピッタンこであります。というわけで今回も毎日その前を通りすぎているジャガー世田谷さんにお邪魔させて頂きました。

ご存知のようにフォードグループを離れて、タタの資本配下になったジャガーとレンジローバーです。エヴォーグが出たあたりには、カッコは良いけど走るの?と本当に心配になってしまいましたが、今回のタイプF4つの種類が選べ、廉価版の2車種は3.0リットルのV6でエコノミーではありますが、多くの欧州車が燃費を求めているエンジンで個人的には興味なし。今回試乗したのは5リットルV8のコンバーチブルでした。クーペはこの上にタイプRがあってさらに馬力が50HPアップされるようです。

内装はさすがというよりほか有りません。新型のコルベットは頑張りましたがここまでの質感はありません。シートはレンジローバーと同じメーカーのようで固くしっかりとしていて、さらに十分なクッション性もあります。コリノー社のレザーではなさそうですが素晴らしい仕上がりです。以前、プロゴルファーのOA女史がレンジローバーに乗っていて、偶然、南青山のマンションのエレベーターで乗り合せた際に、腰痛持ちにはこのシートが手放せないと同感したことがそのよさの証明でもあります。それにしてもフロントガラスのスラントが急で視界は狭いです。女性にはちょっと厳しいいかな。ちょうどガヤルドのそれに近いかも。

まずエンジン始動。このカリカリ音は何?V10V12のエンジンなら分かりますが、V8の音じゃない。住宅地でははっきり言って迷惑になります。どうもオーバーリテイクしているようです。タイヤは20インチで前235/35295/30、奇しくも19インチですが私の911カレラSと同じサイズ。ハンドルは今流行のエルゴノミクスレーシングタイプです。握りやすいです。

少し詰まっている246を川崎方面に走りながら感じたのは、まず低速のトルクが薄いこと。アクセルがスカスカしています。それとブレーキがじわっと効かない。低速ではカクンカクンとしてしまいます。陸橋をUターンして今度は空いている上り車線で少しだけ速度を上げます。するとさっきのトルク不足は嘘のように車体をグイグイ引っ張ります。これはきっとエンジン特性でもあるトルクカーブ高回転によっているのかもしれません。それでもどこかしら猫足の面影が残っているのかと思いましたが、サスペンション、ハンドリングは全くの別物です。確かにタイヤサイズの割に突き上げは少ないですが、車体の剛性感は911のほうが上手です。

車長は4600ミリとほどよいサイズ感ですが、車幅が2000ミリ、うーん、右ハンドルとこの車幅が最大のネックかもしれませんね。つまりはパナメーラと同じくらいになってしまいます。パナメーラGTSとこれを比べたら、はっきりいって運転の楽しさはパナメーラに軍配があがりますね。
ジャガー世田谷のHさんには申し訳ありませんが、もう一台持てるならば別ですが、やはり2台を選べと言われれば選択肢から外れてしまうでしょう。
そうそうタタに変わってからフォードの時のように部品を共用しろと指示がないのが良い点だと言っていました。納得。











2014年6月19日木曜日

チャーハンのこと

一週間前から頭の中がチャーハン、チャーハンを連呼していた。

鎌倉に居るときには自転車で羽深さんに食べに行けば、お望みのチャーハンにありつけるのであるが、この中目黒周辺には中々安定した「街場の中華屋さん」が無いのである。

この「街場の中華屋さん」というところが大切なポイントである。まず価格は1000円以内、どんなに美味しかろうが1000円以上するものは「チャーハン」ではなく「炒飯」になってしまう。

そんな訳で昨日、スタッフを無理やり引き連れ目黒と不動前の中間あたりにある店に出掛けた。テレビでも紹介されている有名店である。店内には雑誌やテレビで取り上げられた紙面が所狭しと貼り付けられていた。

芸能人の色紙は別としてこの手の店で美味かったことが無いので、少し心配になった。

合席で待っていると餃子が先に運ばれてきた。焼き方は良いものの、普通の味である。羽深さんの方が美味しいと心のなかで思っていたが、チャーハンが来るまで答えはお預けにしておく。

餃子が食べ終わって暫くするとまずスープが運ばれてきた。濁っていて味噌汁のようだ。これを一口飲むと妙な酸味と甘味が舌先に残り、レンゲを置いてしまった。

肝心のチャーハンは五目チャーハン880円を頼んだのだが、これがまた可笑しくなってしまうほどチャーハンと具材がバラバラでエビやホタテもあしらわれているが、味に一体感がないのである。

ホタテなのにこれ蒲鉾と間違う程、食感も悪い。エビに至っては味がしない。お米はパラパラだが他の具材の味が薄く、またつややかなコーテイングがなされていないので口の中でパサツキ感が増す。

そして何より一人でテンパっている店主が従業員を怒鳴りつけている。後味の悪さを残して早々に店を切り上げのは言うまでもない。

その後、私はどんなチャーハンが好きなのか自分なりに考えてみた。日本中の美味しいと言われるチャーハンをブログにしている人のコメントも参考にさせてもらったが、私が探しているものとは違う。

私が大学生の頃、肉体労働のアルバイトをしたことがある。叔父の手伝いだった。

場所は自由が丘、小綺麗な店は沢山あるが、叔父はいつも汚れた作業服でも嫌な顔をしない店を選んでいた。当日は真夏で着ていたTシャツは絞るほどの汗だった。

叔父が選んだのは中根の信号から少し駒沢公園よりに下った中華屋さんだった。

店の名前は別れたが、テレビで高校野球を中継していた事を覚えている。私はチャーハンと餃子を注文した。

記憶は残念ながらそこまで美味しかったかどうか覚えていない。でもそんなことが思い浮かぶのだからマズかったとは思えない。そうだ。その店を探してみよう。まだあるか分からないが、もしやっているようなら嫌がるスタッフほ無理やり連れて確かめてみよう。「街場の中華屋さん」の正統派チャーハンであるかどうかを・・・・







2014年5月28日水曜日

私的カーグラフィック#27 コルベットクーペz51


先般、新しいコルベットに試乗した。アメリカで乗ってみて普通に使えるコルベットの意外性に驚いたこともあり、新型が登場したら是非一度乗ってみたいと思っていたからだ。しかしながらこの顛末には幾らかの説明が必要となる。今、シボレーは多くのディーラーが扱っている。最大手はYという会社だろう。私もまずそのディーラーに試乗できないか尋ねてみた。するとどうだろう、少しも臆すことなく、この車は大人気で多くの顧客が試乗せず購入していると言う。試乗車などありませんと。これには驚いた。どんなに高額な車でも買う前に試乗できる。そういえばこの会社、スリーポインテッドのメーカーから一般のデイーラーに格下げされたことを思い出した。営業マンにこれ以上何を訴えても無駄と思い電話を切った。そして別のディーラーに電話をすると用意するという。これが普通だろうと思ったが、謝意を伝え当日このディーラーに向かった。

用意された車は今回のために用意したようだ。まだ30キロしか走っていない。それも高性能バージョンのz51だ。

ここでコルベットについて説明をさせていただく。私がコルベットを初めて見たのは第三世代のコルベットで場所は赤坂見附の交差点だった。真紅のコルベットが私の前を通り過ぎ渋谷方面に左折していった。私は振り返りながらこの車を見続けた。この世代のコルベットは1968年から82年とかなり長い間モデルチェンジをしなかった。車の横にはステイングレのロゴがあしらわれていた。それから現在のモデルが第七世代と4回のモデルチェンジを経てきた。

コルベットの素晴らしいところはまずそのサイズ感である。どんなに素晴らしい車でも全幅2メートルを超すものでは、日本の道は走りづらい。その点コルベットは全幅1.88 メートル、全長に至っては4.51メートルしかない。
シートに滑りこむとまず内装の作りこみがしっかりしている。ただ、旅客機のビジネスシートのような助手席との衝立はやりすぎかと思う。
エンジン始動する。始動するときは8気筒全てが一気に添加されるため、獰猛な唸り声を上げるが、走行モードは細分化され雪道等のウェザーモード、エコモード、ツアーモード、スボーツモードそしてトラックモードまである。トラックモードとはサーキットでの走行を想定している。ただし、インパネはカラー液晶でモードごとに変化するが少しカラーが多く、安っぽく感じた。
ハンドリングは秀逸である。下からの突き上げも皆無で素晴らしい。日産が得意とするステアバイワイヤのようでもある。
ブレーキはどうだろう。大口径化したブレンボの効きは良い。ただし、frの域内でということ。ポルシェのようなrrのリニアな制動とは違う。大きくて重いエンジンの慣性力はついてくる。
後方視界は意外と取りやすい。しかしながら前方は左右に張り出したフェンダーの突起が視界に入ってくる。背の低い人や女性には厳しいかもしれない。もっともムルシエラゴやディアブロに比べれば何ということはないのだけど。
最後にディーラーのひとも言っていたが荷物が積みにくい。リアの荷室が高い位置なのだ。面積はあるのだけど薄い。海外旅行のトランクは厳しいかもしれない。もっともトランクは別に送ってしまえばいいわけだけど。

総合的にみて素晴らしい車だと思う。前のモデルとは全くの別物に仕上がっている。
つまりは前の車の普通さも薄れている。何となくアメ車のゆとりというか、ダルな部分が無くなっているのだ。真っ暗な中でシルエットだけ見たらフェラーリと間違えるかもしれない。技術を磨き上げてスタイルを変えないポルシェ(特に911)と全て作り直してしまうコルベットとの方向性の違いかもしれない。もちろんどちらが良いというわけではないのだが。











2014年5月20日火曜日

遊びは遊びつくせ

パスカルではないが人間知っていることしか知らないのである。知らないことは知らないのだから。
よく私たちはプロじゃないのだからそんな高いものや贅沢なものは必要ないという人がいる。そうだろうか、プロこそ現実的な要素でモノを選ぶのではないかと私は思う。幸せなことに私の周りの友人は遊びに関してそんなことは言わない。遊びだからこそ遊びつくせというのである。もちろん財力の範囲ではあるが。

家一軒建てられるほどオーディオに凝っている友人もいれば、山を登ることと走ることに人生をかけていると思える友人もいる。つまりは道楽とは道を極めようと暗中模索しながらジタバタ騒ぐことだと思うから。

車にしても歳は関係なく国産車が一番だという人もいる。それはその人の考え方だから何も文句はない。一度きりの人生なのだから乗ってから判断すればいいのにと他人ごとに首を突っ込みたくなるのは別として、車は宇沢弘文氏を持ち出すまでもなく非経済的なのだ。いくら省エネや環境性能を謳ったとしても非経済的なものなのだ。ポルシェに乗ったことがない人はポルシェを分からないと思う。私だって分からなかった。体験して初めて分かることが多い。頭でっかちの考えは退席いただく。

ロードバイクにしてもそうだ。モノコックのフレームしか乗ったことのない人はラグドのフレームの妙味は分かるまい。コンプレッションホイールに乗ったことのない人はコンプレッションホイールの事を知るまい。絹のケーシングのタイヤに乗ったことのない人は絹のケーシングのタイヤのことは知らない。だって知らないのだから。私だって知らないことはいっぱいある。しかし、手が届かないからといって知らないことに蓋をすることはしない。思い続ければいつかは叶うかもしれないから。

よくオンとオフを口にする人がいる。今はオフだから仕事の事は考えないと。そういう人はオーナーには向かない。経営者は四六時中仕事の事を考えている。じゃ遊びは考えないのかというとそうではない。遊びも四六時中考えているのだ。
美味しい物や楽しいことは周りの人たちと共有するからこそ楽しい。一人だけ美味しいものを独占しても所詮腹をこわすのが関の山だ。でもそういうタイプの人間が多いのも事実。私の友人にはそういう人は滅多にいないのだけどね。

あの世には何も持っていけない。持っていけるのは思い出だけ。人は生まれてくることは選べないけど、死ぬことは選べる。エミールウングワレーの絵のように死の直前にどんな景色が目の前に広がるのか、それはどんな思い出を持っているかによって決まるのだから。
















2014年5月15日木曜日

均質化するこの国

新聞社やテレビも週刊誌宜しく視聴者が喜びそうな話題ばかり取り上げ、劇場化していることがマスコミの凋落に繋がると嘆いていたのだが、今度はSNSでも同じようなことが起こった。
そもそも私がSNSを始めようと思ったのはそうしたマスコミの一義的、一方的報道姿勢に疑問を持ち、自分で情報を取捨選択するSNSを試して見たいと思ったことが発端だった。SNSには多くの情報が氾濫する。正しい情報も正しくない情報も。それらを選択するのは自分であり責任も自分にある。SNSも慣れてくると自分と価値観が近いという人を見付けられるし、逆もある。そうして自らが情報という玉を磨き上げていくのだ。

ところがとあるSNS運営サイトから情報の内容を訂正して欲しいと要請があった。理由はポリシーのひとつである「著しく営業に影響する恐れがあり、事実か確認できないこと」に抵触するらしい。
私はその店のピッッアを数回食べている。味は美味しいと評価している。そして掲載した事実は私がこの目で実際に見て、経験したことなのである。伝聞でも推測でもない。
店の前の公道でお揃いの店のtシャツを着て、店内からホースを引いて水だらけにしながら車を洗い、あたり一面が水だらけになっていた。私の布靴は汚れ、通行人はその様子を並行しながら足早に通り過ぎていったのだ。

店というのは味だけではない。オーナーや店主のポリシーが具現化される。それも評価してはいけないというならば斜陽になったグルメ雑誌と同じ、店からお金をもらって良い情報だけ掲載するのと同じである。

私の好きな真鶴の寿司店の口コミに店主の手が汚れていたと揶揄されていた。店主はすぐさま同じ書き込みにそのことをわび、手についていたものはある食材を扱うときにつくもので当日はその処理をしたばかりだったと説明を加えていた。私は尚更その店主の人間性、料理に対する真摯さを感じたのはいうまでもない。





2014年5月10日土曜日

演奏者と聴衆

演奏者と聴衆
昨晩、キース・ジャレットのソロコンサートに出掛けた。ご存知のかたも多いかと思うが、この最終公演の前の大阪でのコンサートでキースは演奏を中断してしまったようだ。その場に居合わせていないのでどのようなことが起こったのか定かではないが、耳障りな何かの雑音が聞こえたのかもしれない。
私も行く前までは、そんな小さなことで目くじらを立てるのは、敷居の高い寿司屋のようで客=聴衆をないがしろにしているのではないかと些か諦めていた。
ところが実際に自分が行ってみると、その浅はかな考え大いに反省した。何故ならここ数年のコンサートでこれだけ感動したものはないからだ。
最初の曲が始まった時に、あまりの硬質な音が私の体を突き抜けた。と同時に察かに自分がいつも聞いている音とは別の種類の音がそこで奏でられていた。彼のピアノはタッチとかそういう技巧的なものではなく、本質的な音源としてクリスタルのように透明で直線的だ。しかしそれだけではない。彼の演奏は絵画的でもあるのだ。私は朝靄のかかった湖に浮遊している錯覚におちいった。波も風もない、ただ静寂な湖面にビアノの音だけが流れてくる。別の曲になると今度は夏の草原が目に飛び込んできた。風にたなびく背の高い草が優しく足元をくすぐる。そしてまた別の曲になると夏の入道雲の湧き上がる空を大鷹になって飛んでいるようだった。
彼は芸術家という言葉を嫌う。その代わり音楽を信じるという。30代の頃の精力的だった彼のピアノと今の彼のものは異なっている。どちらが良いとか悪いとかという話ではない。まるで演奏すること生きることの怖さを知った思慮がそうさせているように思えてくる。
彼の発する音に対する拘りはさらに深くなっている。我々の方も彼の演奏を共感するためには努力が必要だと思う。いくらお金を出しているとしても聴衆がその努力をしないなら、どんなに良い演奏でも価値はない。共感できて初めて音楽の喜びがあるのだと知る。
日本人に限った事ではないが、我々は幼い頃より自由と権利を教えられてきた。それはこうしたときにもまず自分の権利を主張する矮小な思想がある。お金を出していれば何をしてもよいというのは思い上がりだ。それを言うなら演奏家はお金で呪縛された衆人でもないし、演奏しない自由だってあるのだ。
キースは神経質で気難しいと言う人がいる。そうだろうか、聴衆にコップ持ち上げ「ウォーター」とジョークを言ったり、「ハッピーバースデー キース」と言う人に今日じゃないと言ってみたり、さらにアンコールを4曲も演奏してくれた事を考えるときっと大阪では彼が共感できない何かがあったのだろうと考えを改めざる得ない。
会場から沸きあがった声援もきっと40年以上日本での彼の演奏をプロモートしてきた鯉沼さんだったのかもしれない。そういう音には彼はきっと愛情をもって答えるはずだ「みんな音楽が好きなんだね」と。