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2014年1月27日月曜日

重箱の文化

日本ではどこの家庭でも重箱の一つや二つはあるのではないか。ハレの日にこの重箱に美味しい物や大切なものを入れて衆人にお披露目する。その時まで中味は見せない。
会社のスタッフが日本人にはフェイスブックよりラインの方が合っているのではないかと言っていた。確かに日本人は限られた仲間うちで物事を進めようとする傾向がある。それを控えめな日本人の文化性や閉ざされた空間の美意識として賞賛される場合もあるので、よし悪しは付けられない。
街を歩いていて、日本には多くの塀があることに気付かされる。西洋ではあまり見かけない類の塀が狭い土地を縦横無尽に囲んでいる。
日本は土地が狭く、複雑な権利関係によるトラブルを避けるために塀を作るのだとその合理性を主張するむきもあるだろうが、多くは後付のような気がする。
塀を作るべきでないとは言わない。ただこれだけ街の景観に影響を及ぼすものなのにそのデザインや機能性に無頓着すぎるのだ。
セントラルパークにはほとんど塀がない。石積みの土留が周りに設置されている程度で威圧感や人工的無機質な感じは受けない。
公園だから警備や安全面の担保が少ないのではと言われるかもしれないが、その点を考慮してもあまりに日本の塀はデザインや環境は二の次で安価ならなんでもいいと脳天気すぎると思う。
小石川植物園は私の好きな場所だ。広い園内は緑が多くとても安らげる。ところがその塀ときたら、この脳天気で無粋なコンクリートの平板が張り巡らされていて、興ざめしてしまう。
やっと南西側の無粋な塀が変更された。出来るじゃない。きちんとデザインと機能性も考えた塀がやっと構築された。
東京でも緑化規制と同様に建物の外周に設置する塀について、環境デザインを考慮して規制すべきだと言うと、個人の自由を奪う気かとこれまた反論されそうだが、成熟した街にするには必要だと思うのだが如何であろう。